慶長17年7月11日の喧嘩

2016年07月29日 14:11

929 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/29(金) 03:19:32.15 ID:stCyV8p8
慶長17年7月11日、黄昏後に駿府御城下の市町において、飯田伝吉(元高麗人)
と、朝比奈甚太郎ならびに松野勘助(徳川頼宣の近臣)が喧嘩した。

その子細は、朝比奈と松野が飯田に対して悪口を吐き、あまつさえ帯刀を抜いて
切りかかったため、伝吉はこれを黙ってはおれず、松野と従僕をともにたちまち
殺害した。朝比奈も3ヶ所傷を受けて倒れ伏したので、飯田は退き行方をくらませた。

町司・彦坂九兵衛(光正)は、この旨を大神君(徳川家康)のお耳に入れ、大神君は
飯田の神妙の働きを感心なされて、速やかに飯田を呼び戻しなさった。

また、朝比奈の過言の咎と未熟の振る舞いに御不興なされ、朝比奈に切腹を仰せ
付けなさったということである。

――『関難間記』



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    相手に対して舐めた態度を取った挙句に返り討ちに合うなんて無様を晒せば、
    面目丸潰れなことだったでしょう。切腹にしてくれただけでもマシですね。

  2. 人間七七四年 | URL | Cnub/O7I

    神君「ヘイトスピーチは禁止、な?」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    喧嘩両成敗っていつ頃、確立したんだろうか

  4. 人間七七四年 | URL | -

    人が増えると劣頭な輩が増えますね
    今なら出禁、昔は切腹

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