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なにはともあれ、本当は息子を救っていた内藤正成

2016年08月03日 14:17

30 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/02(火) 20:38:14.89 ID:3enpF6iZ
以前、悪い話スレにて内藤正成が三方ヶ原で息子を助けて棄てた話を紹介したが、
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-10094.html
寛永諸家系図伝を読んだところ、実はこの話が違っていたことがわかった
以下、寛永諸家系図伝に記述された話を紹介する

……この時息子の甚一郎正貞は敵陣に深入りし、味方が退いたのを知らなかった。

故に正成が息子の生死を知るため馬を返して敵陣に突入すると、正貞は数人の敵と刃を交えていた。

正成は槍で敵を突き、その敵から馬を奪い、正貞を乗せて撤退した。

正貞はこの戦いで敵の首をとり、彼の配下もまた高名した。


つまり、
寛永諸家系図伝では「正貞を乗てひきしりぞく」(原文)だったものが、
寛政重脩諸家譜では「正貞を棄て引退く」(原文)と誤って書かれてしまったようなのである

調べる限り「乗」と「棄」のくずし字は似た形になる場合もあるようなので、
そのために起きた間違いなのかもしれない

なにはともあれ、本当は息子を救っていた内藤正成のいい話である



31 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/02(火) 22:57:22.20 ID:ss4ItaM9
>>30
おぉ~お見事!いくら戦国の世とはいえ惨い…と思ってたから良かったw

32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/02(火) 23:11:05.12 ID:3enpF6iZ
一応言っておくと寛永諸家系図伝(1640年代編纂)を再編纂したのが寛政重脩諸家譜(1790年代編纂)です




33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/03(水) 14:58:43.00 ID:w5W1SYVI
百五十年もたてば崩し字の間違いぐらいしてもしょうがないか

38 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/04(木) 07:02:34.65 ID:kfD42Jl/
>>30 

正「正貞を乗てひきしりぞく」
誤「正貞を棄て引退く」

息子を見捨てて退却した、となっては、ひどい勘違いだな。元が良い話でよかった
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    この話。凄い覚えているw
    よかった‥鬼畜父さんとそれに捨てられた息子は(この話には)いなかったんや‥

  2. 人間七七四年 | URL | -

    1殿に同意なんだが、なぜだろう、寛政の方がしっくりくるというか、三河武士に偏見持ちすぎてるかもしれない

  3. 人間七七四年 | URL | -

    信康「三河武士だからって親が子を見捨てるわけないって」

  4. 人間七七四年 | URL | -

    まさに一字違いで大違いだな。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    三河者ならやりかねないという偏見だろうなあ

  6. 人間七七四年 | URL | -

    「大隅国」が稀に「大隈国」と書かれてあったりするのも、くずし文字の読み間違いから生じたもののような気がする

  7. 人間七七四年 | URL | -

    良かった、やっぱり三河者でも親子の情ってあるんだ!
    それにしても、たった一文字で意味がガラッと変わる日本語(漢字)って改めて凄いな。
    そして、本当の内容を調べたうp主もGJです!!

  8. 人間七七四年 | URL | -

    三河者って自分ルールで生きてるイメージがあるから…。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    劉邦「なるほど、なるほど」

  10. 人間七七四年 | URL | ZPZR469g

    普通だと寛政重脩諸家譜を編纂した時に、棄って読めても話として変じゃね?と
    思いそうなもんなんだが、当時の編集者も、
    「まあ三河武士ならやりかねんよな」
    と思ってたのかな…

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ちゃんと調べて訂正してくれて投稿者さん本当にありがとう、お疲れ様です。
    しかし甲冑武者が二人乗りで逃げ切れたとか昔の軍馬も通説イメージより強健?

  12. 人間七七四年 | URL | -

    息子だけ乗せたんではないかね

  13. 人間七七四年 | URL | -

    で?息子は助かったの?

  14. 人間七七四年 | URL | -

    >>13殿
    上野介殿乙
    正貞長男の出生が1578年なので生還は出来ていますぞ

  15. 投稿者 | URL | -

    ※11
    本文中に「正成は馬を返して」とあるため、
    正成は最初から最後まで騎乗状態であったと考えられます。
    敵から馬を奪ったのは正貞用の馬を調達するためでしょう。

    ちなみに正貞はこの後不行跡によって父から放逐され、
    江戸時代に家康に赦免されて再出仕した後に畳の上で死にます。

  16. 人間七七四年 | URL | -

    あれ?なんか水野さんちの勝成くんも、似たような事があったような。あちらは、自分から出ていた気がする。

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