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物見の衆をよくよくご吟味あって

2016年08月06日 09:20

44 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/05(金) 21:58:51.76 ID:pGK24o8N
上方衆の武辺と関東者のそれとは、同程度の人数で、両方の大将の能力も対等であった場合、
運次第とは言いながら、上方衆は5度に4度は敗軍するということ、信玄公の時代より今まで、
数度にわたって見聞きしております。

しかし、関東武士と言っても強勇の者ばかりというわけではなく、また上方侍とて、弱い者ばかりでは
ありません。ですが、上方の軍勢の特徴として、備え立てに吟味が薄く、物見を大切にしない、
という所があります。
専門の物見武者を選定せず、その経験を積ませること無く、誰であっても物見は出来るのだ、
などと心無い者は考えているそうです。

上方衆は物見に出て、遠きを計らず敵を賤しみ、荒事ばかり言って、人を預けても合戦の時は、
彼らは寄騎同心を捨て、一人先に行って抜け駆けをするのを手柄と考えますから、心がけのある者は
預かりの人を捨てて先に行き、一番槍を好みます。

ですから、敵将が名将ですと、1,2の備えを捨てて3,4にて勝つような戦略を立てます。
上方衆は先陣ばかりを切り崩せば敵は敗軍し勝利すると心得攻めてきますが、2,3の備えにて切り崩され、
結局彼らのほうが敗軍します。

信玄の歌にこのようなものがあります

・軍には 者見なければ大将の 石を抱いて淵に入るなり
・戦に 日取時取さしおきて 物見を掛けて兼ねてはからへ

この二首は信玄公より勝頼へ自筆で書かれ、伊那へ入城の折に遣わされました。
物見の衆をよくよくご吟味あって然る可きです。

(松のさかへ)

井伊直政に、三科形幸などの重臣が連署で出した諫言書の一節である。




45 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/05(金) 23:32:30.89 ID:BuAwnvp8
関東武士に物見はいらへんで?
見つけた敵を片端から棍棒で殴り潰すから

46 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/06(土) 10:45:26.62 ID:3QaXja28
そもそも甲斐は関東じゃない件

47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/06(土) 11:03:10.05 ID:BUXeDJN+
甲斐は鎌倉公方の支配地域だったし、三関より東をひとまとめに関東と呼ぶ場合もあるし、必ずしも関東が関八州、現代の行政区分での関東を指す訳では無い
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    島津の釣り野伏が九州では無敵だった理由がついた。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    天庵様「物見など関係無い!直感あるのみ!」

  3. 人間七七四年 | URL | ZPZR469g

    実際に軍制としてそんな違いがあったのかな?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    >>上方の戦い方
    これは三好家が地元と京周辺を制圧できた事に詳しい人なら分かるかも知れない。

    当時の京周辺での戦は、まず「口合戦(相手側の悪口や問題点の指摘で言い負かす)」
    「弓鉄砲の掛け合い」「小競り合い」で大体終りだそうで、それらに比べて三好家は
    そう云った戦い方ではなく、ちゃんと戦略戦術を持って合戦に応じてたから勝てたと、
    私が高校生の頃に歴史の先生が熱弁してましたw何処の文献引用なのだろう?w

  5. 人間七七四年 | URL | -

    半ばまで読んで「あんたがそれを言うかw」って思った部分があったけど直政は言われてる方なのねw

  6. 人間七七四年 | URL | -

    武士の生態については上方と東国はよく比較されるけど西国はどうだったんだろう?
    ついでに北国衆も人口的には比較対象に上がって良さそうなものだが、こういうものは上方vs東国ばかりやね

  7. 人間七七四年 | URL | -

    「上方の心がけのある者は、預かりの人を捨てて先に行き一番槍を好みます」
    直政「さりげなく言ってるつもりカモ知れんが、がっつり俺への個人攻撃になってるぞ」

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※7
    三科「自覚はあるのでござるな」

  9. 人間七七四年 | URL | -

    信長公記だと長篠で武田軍が「関東衆」と呼ばれていたな

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    それ上野の小幡党だからな

  11. 人間七七四年 | URL | -

    なるほど、ヴィッセルやセレッソやサンガが弱いわけは物見のせいか

  12. 人間七七四年 | URL | -

    徳川と豊臣限定で言えば、小牧長久手も関ヶ原も、秀吉や三成は諜報で明らかに家康に負けてるよね

  13. 人間七七四年 | URL | -

    ※12
    諜報ってより、地元民を味方に付けられたかどうかでしょ?
    小牧も地元民の通報により居場所をバラされ、関ヶ原に関しても諜報と言うよりは、
    味方のゴタゴタで足の引っ張り合いと、動く先手を取られたってのが大きい

  14. 人間七七四年 | URL | -

    ※13
    だからそれが諜報の一部だろ?

  15. 人間七七四年 | URL | -

    諜報活動ってのは、主に敵側に対して工作員等による情報収集の事を指すのであって、
    (戦国時代なら忍だね)
    もっと活動内容も細かく分類も出来るけど、流石のここでは別場話すぎるから無しで。

    地元民が自発的に訴えたのなら、それはただの通報。
    兵が地域に展開して張り付くのなら、物見(偵察)。
    諜報ではない。似ている様で別の意味だよ。

  16. 人間七七四年 | URL | -

    ただの通報とやらが、自陣営にもたらされ易くなるよう取り計らうのは諜報に入らないのか

  17. 人間七七四年 | URL | -

    ※15※16
    領民を独立性のある存在として捉えるなら諜報の範疇に入る
    アメリカがアフガンで地元の有力者を懐柔して情報を得ようとしたように

    領民を体制内の存在と考えるならばどちらかといえば統治システムの問題
    下から上にきちんと情報が流れる仕組みになっているかどうかの話

    戦国時代の村、特に「境目の村」となると前者の性格が強くなってくる
    有事に「通報」を得るためには普段から諜報に準じた活動があったのではなかろうか

  18. 人間七七四年 | URL | -

    ↑こんなやり取りに逸話サイトで何の意味があるの?
    要は「諜報だろ?」と言いたい人は、そうなんだから認めろとでも?

    住民が徳川家に羽柴勢が侵入したと報告した
    これの何が違う?言葉遊びしたいなら他所行ってくれよ

  19. 人間七七四年 | URL | -

    意味あるだろうよ、読む人によっては受ける印象がまるで変わってくるんだから。
    論理的には正しかろうとも、「○○っぽい」ことを「○○じゃない」とだけ言って説明端折ったらこういう流れになるのも無理はない

  20. 人間七七四年 | URL | -

    物見・偵察の実施と効率化する人。
    敵・味方あらゆる階層の噂をコントロールする人。
    敵・味方あらゆる階層からの情報収集システム(通報システム)を構築する人。

    これら全てを諜報活動といい、それゆえ諜報活動を行う部門は諜報機関と呼ばれる。
    (忍やらCIAやらKGB.etc.. それらの外郭・下部組織)

    諜報機関の構成、運用の仕方、仕業の呼び名といった諜報活動の実体は、
    昔も今も各国それぞれ秘密ゆえに千差万別であろうから、個別の事象など想像するしか無い。

    それゆえ情報戦に長けた国(地域)の諜報活動を想像するのは楽しいでござるね。

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