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「井伊家はキツイ」

2016年08月19日 08:59

18 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/18(木) 19:30:48.20 ID:zWB+z/Fv
これはたいへん申し上げにくいことなのですか、世の中では殿(井伊直政)のことを、人を斬る人物だと
沙汰しています。私達においても、よその知人から、『未だ生害にあわず、存命でしょうか?』と、
生存を確認する書状が来る始末です。

殿におかれては、大方の科は御堪忍なされ、処刑に値する罪でも、五度に二度は命を助けられ追放に
とどめ、罪のある中でも忠功のある者には、前の科を捨てられることこそ、誠の大将というものなのです。

殺害の多い大名は良い家臣を持てません。先年、当家(井伊家)は、美濃輪、橋田、秋山、戸倉、勝野の
五人、彼らは上方で名のある武士であったので、それぞれに千石づつ宛てがい召し抱えたいと伝えました。
彼ら五人は、その前は織田源之丞に仕え、五百貫を知行していました。そんな彼らに千石づつという
非常に高い条件で召されたというのに、彼らは「上方にて望む所があるので」と、断ってきました。

しかし、断った彼らの本音は、「井伊家はキツイ」という判断なのです。
その後千五百石まで条件を上げても参りませんでした。近頃聞いた所によると、彼らは本多平八殿の所に、
わずか八百貫で五人全員が参ったそうです。実に惜しき事です。
家臣が当家長久、子孫・武勇繁盛と祈るのも、それは長命を前提としているのですよ。

殿は六年ほど前からお心がけが変わり、物荒くなられました。
家康公の仰せにも、「何であっても三度家臣と相談して決定するように。」と有るではないですか。
これはしっかりと自覚すべきです。

(松のさかへ)

井伊直政への重臣よりの諫言書より。
直政の重臣たちにはよその知り合いから「まだ生きてる?」という書状が届くような状況だったらしい。



19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/18(木) 21:08:30.27 ID:sUGxG//l
>>18
>『未だ生害にあわず、存命でしょうか?』
どんだけ危ない大将なんだよw

20 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/18(木) 21:23:15.57 ID:o2hjQZMp
q=井伊ね!

21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/18(木) 22:11:36.52 ID:MlTLB+Gb
鬼武蔵のところはどうだったんだろう?

22 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/18(木) 22:12:31.09 ID:ZS1gmFa7
武士って本当楽じゃねえな…

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    三斎様のとこでもこんな話聞かないのにどんだけヤバいんだよ直政は

  2. 人間七七四年 | URL | -

    鬼武蔵 →高遠城を見る限り家臣も同類なので問題無し
    三斎様 →2回までは失態もセーフ(ただし奥方関連を除く)
    直政  →1発アウト

  3. 人間七七四年 | URL | -

    >殿は六年ほど前からお心がけが変わり
    6年前何があったし

  4. 人間七七四年 | URL | -

    鬼武蔵様は部下には優しかったような
    ここで上がったエピソードだと、やらかして逃亡した元部下を斬った位だった気がする
    ※斬った場所や元部下が仕えていた家の事からは目をそらし

  5. 人間七七四年 | URL | -

    五度に二度は許しても、残り三度は斬られるのね‥
    「前に失態した奴二人は許したから、お前はアウト!」

  6. 人間七七四年 | URL | -

    罪に比べて量刑が重すぎるとは一言も書いてないんだよな。
    怖いけど暴君ではないパパにゃんらしい感じの逸話。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    人斬り兵部のあだ名は伊達じゃない

  8. 人間七七四年 | URL | -

    パパにゃんは暴君じゃなかったんだと思う、自分も。
    ただ御気性が余りに峻厳なだけで…w。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    家臣がこういう諌める事を書けるのは聞く耳が有ると思われてるからだと解釈w
    寄せ集め集団にも関わらず井伊隊は統制がよく取れていたとの事だし。
    それが上に立つ直政が死んだら家中の統制が乱れて大変だったとか。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    いやいや、戦国時代で1貫=約2石だから井伊家の提示額より本田家の方が条件良いじゃん。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    石と銭どっちが得なのかねえ?

  12. 人間七七四年 | URL | -

    主君が家臣を手討ちにするのに量刑もクソもない気がするけど
    直政は些細なミスでも許さず周辺がドン引きしてたそうだ

  13. 人間七七四年 | URL | -

    それにしても
    直政が生きていた時は特に謀反も無く家中がまとまっていたのは素直にすごいな

  14. 人間七七四年 | URL | -

    井伊家にいたら前線に行く都合上武功立てる機会は多そうだけど、命が大切なら忠勝のとこにいるのがよさそう

  15. 人間七七四年 | URL | -

    つーか、甲州武士は悪いことしすぎだろ。

  16. 人間七七四年 | URL | -

    武田遺臣の荒くれ者や他家からの寄せ集め者達を手懐けて
    徳川家と自家の命を預ける一つの集団として
    はたまた天下を見据える徳川の先鋒として纏めあげるには
    これ位の荒療治は必要だったんだろうな。
    寧ろこういう事は直政でなければ出来なかったのでは無いか。
    それを家康も見抜いていたからこそ直政に任せて
    規律は厳しい替わりに統制の取れた集団が出来上がった。

  17. 人間七七四年 | URL | -

    800貫=1600石だよね?
    井伊さんは譜代がいないから家臣に言うこと聞かせるのキツそう

  18. 人間七七四年 | URL | -

    貫高と石高の換算は時代でも地域でも相当違うから、簡単に計算出来ない。
    この逸話ではおそらく一石≒一貫の考えで言っている。

  19. 人間七七四年 | URL | -

    元は徳川家の家臣として使えた積りが、何時の間にやら井伊家家臣にされちゃった
    挙句にこんな偏屈な主人なら、そりゃ不満の一つや二つは出るでしょ?

  20. 人間七七四年 | URL | -

    そんな奴らに甘い態度なんか取れんだろ
    まとまるモノもまとまらなくなるわ

  21. 人間七七四年 | URL | -

    歴史読本か何かで、与力でも家臣同様に手討ちにしたので与力が嫌がって家康の直臣にしてもらおうとしたのを妨害して自分の家臣にした、って話を読んだ事がある。
     過去記事でも、人柄を嫌った与力が家康の直臣に戻してもらおうとしたのを何度も妨害したあげくに終いにはキレて暗殺しようとしたので与力が他国に逃げ出し、直政死後に家康が改めて直臣として向かい入れたなんて話もあるし(『人斬り兵部 井伊直政・悪い話』)、かし

  22. ※21 | URL | -

    途中で投稿してしまった。
    家臣をまとめあげるどうこうを抜きにしても、直政には人格的に問題があったと思う。

  23. 人間七七四年 | URL | -

    >歴史読本か何かで、与力でも家臣同様に手討ちにしたので与力が嫌がって家康の直臣にしてもらお>うとしたのを妨害して自分の家臣にした、って話を読んだ事がある。

    そんな話はないしそんなのを家臣にはしない
    さすがに作り話まで出して貶めるのはどうかと

  24. 人間七七四年 | URL | -

    軍律が厳しくて他の隊へ逃げ出す者は居ても
    反乱や謀反は無かった。
    それが全てじゃないのか。

  25. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    暗殺されそうになって出奔て近藤秀用のことでしょ
    ガラケーだからURL貼れないがまとめにもある

  26. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    ああ、もうひとつの方だけか
    失礼した

  27. 人間七七四年 | URL | -

    最近全体的に誰に対してのコメントなのか?個人のコメントなのか分からない投稿する人居るけど、
    誰か宛のレスならせめてアンカくらい付けて欲しいと思う

    ※20
    誰に対して言ってるのか知らないけど、そもそも家臣への対応を甘くする必要性がない
    と言って、厳しすぎる軍律と手厳しい仕置きをし続ける意味も無い
    それが原因で問題になっているのだから

    ※23
    その話は読んだと言うのであって、投稿者の作り話とは言えないのでは?
    責任が在るのなら、その本の編集者でしょ?

  28. 人間七七四年 | URL | -


    近藤とか与力だからさすがの直政も自分の判断で手討ちに出来なかったというのなら
    井伊軍志で読んだ事が有るけど※21の勘違いじゃない?

  29. 人間七七四年 | URL | -

    すぐ手打ちにする主君という割には井伊家の家臣は結構頻繁に諫言してるよね。本多忠勝殿を見習ってください!って言われてもキレてないし物見に派手な甲胄で行かないでくださいって言われてから黒い地味な甲胄に着替えるようにしてるしあたり家臣も聞いてくれるってわかってたから諫言してたんでしょ。
    でも井伊直政の人斬りエピソードは後世の書物にしか見受けられないし、実際のところ人斬り兵部自体にかなり脚色が入ってるんじゃないか。

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