森武蔵守戦死のときの甲冑所在の事

2016年08月24日 18:15

森長可   
32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/23(火) 21:27:08.57 ID:JLm47JcP
森武蔵守戦死のときの甲冑所在の事

予が在勤していたとき、森右兵衛佐(忠賛)〔赤穂城主〕としばしば会った。
そのとき彼が語った中で、

彼の先祖の武蔵守は、世に鬼武蔵と称されていて、
長久手で戦死した時に着ていた具足が今に家伝しており、
糸威の鎧であるが、小兵と思われて、胴が小さく某には合わなかったとの話が出た。

この右兵衛佐もさほど大兵ではないので、かの鬼武蔵というのは
世の沙汰には似ず小兵と見える。

またその時着ていた兜は家には伝わってない。
聞くところでは永井の家にあると語った。

(甲子夜話)

鬼武蔵チビ説

関連
森武州の具足


33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/23(火) 21:36:21.16 ID:fxMtgD6b
鬼さん、ちびっこだったんか

34 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/23(火) 21:43:13.34 ID:67sBkC92
>>32
信憑性が気になる

35 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/23(火) 23:52:10.01 ID:AYGW6QM6
松浦静山が実際に聞いたってんだから、森忠賛がとりあえずつけてみたのは確かなんだろう
本当に森長可の具足だったのかどうかはさておき

でも小さくても鬼のように強いとかたまにあることだし

スポンサーサイト


コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    筆者の夢枕に鬼武蔵が人間無骨持って立ちそうな逸話やな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    弟だけど忠政の菩提寺にある位牌が153cmで実身長なのでは?って話があってな……
    案外信憑性あるかも、江戸時代中期の子孫の方が栄養状況がよくてでかそうだし

  3. 人間七七四年 | URL | -

    おじゃる丸の子鬼トリオが浮かんでしまった。
    戦国時代なら背が低くとも、結構筋骨隆々だったんじゃ?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    何年も前だが兼山町の歴史民俗資料館を見学したのを思い出した。
    あいにく休館日(月曜)だったが職員の方のご厚意で見学させて下さった。
    残念ながら鬼武蔵の肖像画は他方に貸し出し中だったが、鬼武蔵所用の脛当てに人間無骨の穂先のレプリカなど森家ゆかりの品々があり、小さいながらも中々良い資料館だった。
    近くには忠政を除く森一族の墓所がある可成寺に兼山城跡もあるので、もし機会のある方は一度行ってみてはいかがだろうか

  5. 人間七七四年 | URL | -

    そもそも比較対象者が一体身長何センチなのかが分からない以上、
    もしかしたら小兵と称した側が体格良かっただけかも・・・

    確か、鈴木尚先生の本で「江戸時代庶民の平均は“男性157.11cm、女性145.62cm」
    とあり、戦国時代が平均150~60前後。160以上なら十分背が高いとなる。
    高虎が如何にデカかったか分かりますねw

    近年まで「森蘭丸の鎧」とか言うインチキのせいで、森家の体格が語られたことありましたねw

  6. 人間七七四年 | URL | -

    花の慶二のせいなんだか、前田慶次郎大男説が普通に流布してたりするんだよなぁ。
    なんも根拠無かったよね、確か。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    その点、権現様は足袋が残っていたから、
    大まかでも身長が推測できるからいいですよね。

  8. 人間七七四年 | URL | sSHoJftA

    米4
    半月前に訪ねてみたが、兼山の資料館は耐震補強工事でしばらく閉鎖だそうだ。

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/10190-2ed45ca8
この記事へのトラックバック