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隣接していた主の政宗とやらが

2016年09月04日 14:17

58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/04(日) 10:31:28.65 ID:dE41Oe15
南部の地を仙台侵せしときのこと并侵地の広さ

奥州の南部の人がいる。
今青山大膳侯の家臣である。岡本祐助と称す。
彼は予の小臣の小楠十乃助なる者に以下の事を語った。

「南部侯の領内は広々と開けているので、
昔はあたかも限りが知れないと思われるほどの地であった。
ある頃の主は幼稚であったので、
隣接していた主の政宗とやらが、
徐々に領界の傍示を南部領へ移し立て、
仙台領を広めて、ついに大河がある辺りまで領境を及ぼした。
南部では大いに驚いたが、幸いにしてその河辺りに大洞窟があったのでそれを拠点にして、
この中に人衆を屯し弓銃を備え、仙台から人が来たら防御を専らとするようにしたら、
仙台の侵奪が止んだ。
今なおその穴の中に従卒を三十人ほど置いていて、
古昔からそのことは替わっていない。
なので今に至っても、交守して長城の塞兵の如しである。」

また言う。
「かの河向かいの、かつて仙台が侵略した地はおよそ二十万石とか。
今、目で全てを見渡すことができない大広田である。
今その所には、仙台侯の土着の士が多い。
それなのに南部侯の領有の地名を苗字にする者がいるのは、
彼らはかつて南部から仙台に従った、不義の輩であろう。」

以上は小人の話なので、実否は疑わしい。
(甲子夜話三篇)

バス停コピペを思い出す

バス停コピペ

バス停
かつて、バス停を毎日ちょっとずつ家の方に近づけていた。
苦労して毎日コツコツとやったのに、ある日一気に元の位置に戻された。
ふざけんな。




59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/05(月) 12:22:55.41 ID:A8Sc2ruY
本にすると面白いね

60 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/05(月) 13:31:03.55 ID:WluS7hFV
初対面の額を平手打ちして激昂した相手に仕返しされる逸話が好き

61 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/05(月) 13:32:33.87 ID:vV2TbTzk
政宗の逸話はしょうがねえなーって感想ばかりだw

62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/05(月) 22:35:33.44 ID:ZYCSMBwN
>>58
なんかほのぼのとしてワロタw
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    「大洞窟」って「龍泉洞」のことかな。
    台風が東北に直撃して「龍泉洞」は水没したとか。大震災の次は岩手県にとっては、災難の連続ですね。
    1日でも早く日常生活を戻ることを望みます。

    南部さんにとっては、まーくん( ●∀^)が「災難」という話ですね。諦めて下さい。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    せこいwww

    境界表示って山道にあるイメージだったわ
    だだっ広い所にもあるんだな

  3. 人間七七四年 | URL | sSHoJftA

    みちのく民俗村に南部と伊達の境塚が現存しているけど、とても動かせるものではない

  4. 人間七七四年 | URL | -

    これ具体的に何時の頃の出来事かなのも気になりますね。
    でもまー君は領主として、他の地を攻略するのは当然の行動でもあるのですが、
    そりゃ切り取られる側としては「ほっ何時の間に」とは思いたくもなるでしょう。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    そういやまー君、和賀一揆なんて扇動しているが、あれも事件起こした直後に関ヶ原の結果が伝わって(上杉に伝わったのが9月29日。和賀が城攻めたのが9月20日)いたから、「やべえ・・・葛西大﨑一揆の二の舞かよ」とぼやいたかもなあ。

    しかしまー君、なんだって南部領なんかに興味持ったんだ?
    正直、和賀領よりも、白河や磐城使っての扇動やった方が、はるかにマシだったろうに(確か上杉も伊達の扇動に神経とがらせていなかったかなあ)

  6. 人間七七四年 | URL | -

    まさむねならやりそうと当時の人も思っていたであろう話

  7. 人間七七四年 | URL | -

    管仲「あさましい」

  8. 人間七七四年 | URL | -

    いつの時期とか事実かどうかじゃなくて、甲子夜話からなんだから、19世紀前半の南部人にはそういう話が伝わっていた、南部から仙台人へのイメージはそういうものだったってこったよね。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    逸話サイトなのだから、そんな程度の前提は誰しも弁えてるでしょ?
    逸話にも元になった出来事等がある場合も有る、それが何だったのだろうな?
    程度の話しすら出来ないなら、一々割って入るべきじゃないと思う

  10. 人間七七四年 | URL | -

    (# ●Д゜)「なんで南部を攻めるのかだと。南部があるからじゃ。」
    南部信直「答えになってないだろう。だったら津軽も攻めろよ」
    津軽為信「残念ながら、仙台から。津軽は遠いもんね」

  11. 人間七七四年 | URL | -

    そんな南部領ですが、江戸時代には年貢が高いとか百姓の扱いが悪いとかで評判で、江戸末期の一揆では盛岡に訴えると約束破られるというので仙台に訴えるなんてことも起こり、しまいには度重なる特別税の負担に南部藩南端の村々の農民が「御公儀か伊達様の御領地にしてくだせぇ!!」と仙台に訴え出るようになったとか……!!

  12. 人間七七四年 | URL | -

    盛岡藩は一般的な廃藩置県が行われた明治四年七月十四日より前に、
    財政悪化で藩を畳んじゃったからな...
    印象が悪い

  13. 人間七七四年 | URL | -

    地元に伝わる小咄
    (真偽不明、政宗時代かも不明)

    あるとき伊達の殿様、南部の殿様にお手紙書きました。
    「境界を確定しましょう」
    その方法とは、
    「○日○の刻、お互いに“午”で居城を出発しましょう。出会ったところが境界です」
    しかし伊達のお手紙、午の字の先っぽをちょっとはみ出させて書いたのです。
    律儀な南部の殿様、「これは“牛”であるな」
    かくして当日。
    午(馬)と牛ではスピードの差は歴然。南部はふざけんなと抗議したが伊達に押し切られて境界はとても北寄りになりました。
    ...かくして、相去(現在の北上市)という地名が残りましたとさ。

    どっとはらい。

  14. 人間七七四年 | URL | -

    >13殿
    「どっとはらい」が懐かしい

  15. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    で?

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