ジメサア

2016年09月29日 12:08

亀寿姫   
134 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/09/29(木) 09:58:51.10 ID:UKcAPjuH
鹿児島市の西郷隆盛銅像の裏手、鹿児島市立美術館(鹿児島城(鶴丸城)二の丸跡)の一角に「ジメサア」と呼ばれる
お化粧をした変わった石像があり、毎年十月五日前後の日にお化粧が行われるのが恒例行事となって、その様子は
地元のテレビや新聞でも毎回報道されています。
案内板には「この石像は、島津家18代家久(忠恒)の奥方持明夫人像『ジメサア』の名で親しまれています。
持明院様は16代義久の娘で亀寿といい、器量には恵まれませんでしたが、その人間性が尊敬され、人々は
『器量はすぐれずとも、心優しく幸せな家庭を築いた』夫人の人柄を慕い、毎年10月5日の命日には、この像に
おしろいや口紅をぬって、夫人にあやかるようにおまいりするならわしが残っています。」と書かれています。

この石像にはこんな話があります。(文中の家久を忠恒に変えた以外は原文ママです)

持明の方(ジメサー)
鶴丸城のあと、二の丸に市の美術館がある。庭のかたすみ、こんもりとしげった木の下に女の顔をほった
大きな石がある。まっ白な顔、黒いまゆ、口べにのついたくちびる。
そこにはいつも色とりどりの花がそなえられていて、通りすぎる女の人が、その顔をなでていくのを見かける。
さて、この石にどんな話がかくされているのであろうか。
話は、今からおよそ四百年以上のむかしにさかのぼる。
島津第十六代藩主義久のむすめは、十八代の忠恒に持明の方(ジメサー)として縁付いた。
ある朝、持明の方が鏡に向かって化粧していた時、通りかかった忠恒が、「その顔で・・・」とあざけった。
持明の方はいろいろなやんだすえにとうとう自殺してしまった。忠恒も後悔してみたが、今となってはどうにも
ならない。それで、墓を福昌寺にたててとむらった。
ところがある晩、寺のおしょうさんの夢に「ここにはいたくない。わたくしを二の丸にかえしてくれませんか」と
持明の方がでてきた。おしょうさんはおどろいたが、そのとおりにするわけにもいかないので、大きな石を
錦江湾から引き上げてきて、女の顔をきざんで二の丸にすえて供養した。
ところがまた夢で、「もう少し私の顔を美しくしてくれませんか」という。それで城の女の人たちが、おしろいなど
を毎日ぬってやったら、もう夢にはでてこなかった。
そこでこの顔をなでると、顔が美しくなり、きれいな女の子がうまれるといわれるようになった。
(「鹿児島の伝説」 昭和五十二年発行より)

いろいろとツッコミどころのある話ですが、この話の一番のツッコミどころは
「この石像は、持明院(亀寿)の石像ではない」というところです。
島津家の歴史・文化と集成館事業を語り継ぐ博物館「尚古集成館」と歴史作家の桐野作人氏が再三
違うと言ってるのですが、未だに「持明院(亀寿)の石像」として伝わっています。
尚古集成館側と桐野作人氏の説明では、あの石像は大乗院(現・鹿児島市稲荷町・清水中学校)にあった
「白地蔵」と呼ばれていた石像だそうです。
江戸後期の紀行文「鹿児島ぶり」では
「白地蔵と云う石像あり。めづらしき像なり。土俗心願あれば、地蔵のおもてに白粉をぬるなりと云う」
と書かれています。
この石像が大乗院から現在の場所に移ったのははっきりしませんが、明治以降から戦後すぐあとではないか
と推測されています。
石像と亀寿と結びつけられてしまったのは、亀寿が大乗院に本尊の千手観音をはじめ、勝軍地蔵、毘沙門天
や経典などを寄進したという由緒と関係があるのではないかといわれています。

亀寿の容姿について、尚古集成館側は美人説、鹿児島市立美術館の案内板には不美人説が取り上げられて
いますが、世間一般には不美人説が強いらしく天文館アーケードに無料配布してある「天文館史跡めぐりマップ」
には鹿児島市立美術館の案内板と同じ内容が書かれていて、アーケード内の数箇所にマップが張られています。

※美人説・不美人説について桐野作人氏は「どちらの説も確証が得られていない」とおっしゃってました。

さつま人国誌「再考・ジメサアの由来」
http://373news.com/_bunka/jikokushi/kiji.php?storyid=423




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コメント

  1. | |

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  2. 人間七七四年 | URL | -

    ジメサアは論外としても夫にひどく扱われた悲劇の奥方じゃなくて
    夫の無体に抗った烈女として評価が進めばいいなと思う>亀寿

  3. | |

    管理人のみ閲覧できます

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  4. 人間七七四年 | URL | avoeBHjE

    オタサーの姫ならぬジメサーの姫はシマヅーの姫だった

  5. 人間七七四年 | URL | -

    「シメサバ」と勘違いしたでござる。
    悪久をからかって来ます。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    つーか、亀寿さま、墓すら作って貰えなかったらしいじゃないか。
    で、墓の代わりにこの石をお参りするようになったって事だろ

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※6
    あれ?後になって墓作ったんじゃなかったっけ?

    ……忠恒じゃなく、息子の光久がだけど…。
    しかも、最初の夫の久保の隣に、らしいけど…(うろ覚え)

  8. 人間七七四年 | URL | -

    全く関係ない不美人のゆかりを持つお地蔵さんが
    亀寿の話と混同されちゃったって話かと
    しかも戦後の混乱が原因っぽいということはごく最近な訳で

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※6殿※7殿
    墓を建てたのは光久ですね。
    福昌寺の墓は久保の隣ではありませんが、すぐ近くです。
    (同じ区画に貴久、義久、義弘、歳久(遺骨は入っていない)母親の円信院
    のお墓があります。忠恒のお墓は離れた別の区画にあります)
    ※8殿
    >しかも戦後の混乱が原因っぽいということはごく最近な訳で
    戦後説を採ると、石像のお話が書かれるまで30年ほどしかたってないですね・・・

  10. 人間七七四年 | URL | -

    これ、ある意味悪久より亀寿の扱いが悪い話だよな
    勝手に不細工にして無関係の石像まで持ってきて嘘の証拠固め迄して
    ホント死後400年経っても鹿児島の人達にいじめられているようなもんだ

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※10
    理不尽な境遇の女性がいた場合、女に問題があった(主にスペック的な意味で)
    って事にしといたほうが、万事腑に落ちるって事だろう。
    築山殿なんかも、10個上の淫乱中古ヒス女とかひどい言われようだが
    全部事実とはとても思えない

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ジメサアという名前がよくない
    陰湿なふいんきを感じる

  13. 人間七七四年 | URL | -

    鹿児島は結構口伝が多いから由来の怪しい話も混ざってるw

  14. 人間七七四年 | URL | -

    メメタア

  15. 人間七七四年 | URL | -

    ※10殿
    >ホント死後400年経っても鹿児島の人達にいじめられているようなもんだ

    いやいや、殆どの鹿児島県民はそんなつもりありませんよ。
    自分も昔は鹿児島市立美術館の案内板の話をそのまま信じていたし大半の人
    が知っている「ジメサア」の話はこの話ですから。
    ただただ、疑いもせず「ジメサア」(石像の方ではなく亀寿姫の方)は女性の守り神
    だからと敬っているので、貶める意図はまったくないです。
    大きくなって史実を知ったときのショックといったら・・・

  16. 人間七七四年 | URL | -

    ニュースを見る余裕はありませんでしたが、
    また今年もあの石像が亀寿姫(ジメサァ)と紹介
    されてしまいました。

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