大友義統悪逆の事及び彦山の意地

2016年10月04日 17:42

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/03(月) 23:42:14.17 ID:9IRF6OyF
大友義統悪逆の事及び彦山の意地

天正九年秋、義統は大友家に反目する彦山を襲撃する。かつて大友氏の監視下にあった彦山だがこの頃は秋月種実との関係を強めていた
義統は嗣子に恵まれない十四代座主舜有の後嗣に自身の弟を押し込もうとしたがこれを嫌った舜有は娘婿・秋月種長の子を後嗣にと取り決めたことで
義統の狙いを封じた。そして義統への返答として彦山は義統の使者を殺害する
これに激怒した義統は清田鎮忠と上野鎮俊を大将に、彦山を滅ぼすべく日田郡へ陣を進めた
清田上野の両将は、まず彦山に降参勧告を行ったが彦山は拒否し戦いになる
秋月さらには龍造寺の援軍を得た彦山は一歩も引かず善戦したものの
激戦の末に大講堂を占拠した大友勢は一山の宗坊悉くに火を放つと彦山は一宇も残らず炎上した
この時山伏二人は「大友七代までも怨霊とならん」と罵り腹掻っ切り火中へ飛び込んだ。
こうして一ヶ月に及んだ大友の彦山襲撃で彦山は大きく勢力を失った
しかし彦山はその後も秋月氏さらには龍造寺氏と連携して反大友軍事同盟を結成し戦い続けることになる
さらには秀吉の九州征伐時には島津氏とも連携し豊臣(&大友)勢とも戦うが最後は衆寡敵せず豊臣勢に降った

参考資料:大友記、豊筑乱記、筑前戦国史など

ちなみにこの話は

宗麟公悪逆之事
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-9168.html
の別バージョン

焼討を命じたのが義統だったり焼討後も義統に屈さず秋月・龍造寺・島津と連携して戦い続けているところなどが相違点





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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    彦山の意地というよりむしろ短慮にしか見えない
    使者を殺してわざわざ大友を怒らせて攻められる口実を提供してるし
    九州征伐の時でも大友憎しでわざわざ秀吉に敵対してるし滅んでも仕方がない

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    根本にあるのが修験道対基督教の宗教対立だからな。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    この記述の方が本当なら義統は責められない、使者を殺されたとあっては焼討も当然だろう
    悪逆などというのは逆恨み

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    どうなんだ?彦山に関しては
    耶蘇教関係あるのかわからん

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ノブ「兄弟や叔父それと氏家たちの仇討ちのために願証寺を討ち滅ぼした」
    信忠「父上の指示もあり恵林寺を焼討しました」
    爆弾正「東大寺焼亡は某だけのせいではないぞ」
    松永久通「世間では父上が焼いたことになっております」
    顕如「父の代に山科本願寺を焼かれ石山に移ったのが結果的に吉だった」
    教如(信長にビビッてあっさり石山の地を手放すんじゃねえよ。このヘタレ親父)

  6. 人間七七四年 | URL | -

    >>4
    彦山と大友の関係悪化は宗麟の耶蘇教傾倒もモロにある
    加えて大友の衰退と秋月や龍造寺の伸長
    この頃の大友は田原親貫や田北紹鉄の反乱もあって府内がガタガタだった
    あと彦山を取り込んだ秋月種実のヤリ手ぶりもなかなか

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    英彦山は滅んでいないし、豊臣軍と敵対的だったというのもちょっと違うかな
    法主が種実の妹だったから先遣の毛利に秋月方と一括りにされていたようだけど独立性はかなり高い
    その後の森家や黒田家の諍い調停関係を見ると、恐らく九州征伐のときも龍造寺が仲介して降っている

  8. 人間七七四年 | URL | 3aXRcdxk

    義統の弟ってこの頃には二人ともバリバリの耶蘇教徒じゃなかったっけ

  9. 人間七七四年 | URL | -

    義統「あいつが悪い」
    義鎮「あいつが悪い」

  10. 人間七七四年 | URL | -

    戦国期の宗教勢力はアジール性を持った独立勢力なわけで、権益が侵されそうになったら反発するのは当然だろ
    土豪や国人が大大名に抵抗するのと何も変わらん

  11. 人間七七四年 | URL | -

    宗教色の強い地域って大概激戦区ですよね?
    信仰の力って本当に侮れない

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    親盛はともかく親家は微妙すぎる
    一族の中ではいの一番に信者になったけど
    田原養子入りのため、養子先に媚び売ってキリスト教から遠ざかったりしてたし

  13. 人間七七四年 | URL | -

    永禄11年、宗麟が時の座主蓮忠を自刃させ彦山を支配下においた。
    大友支配下の彦山を、秋月から攻撃されても援軍を出さずに見捨てた。
    彦山は秋月に降ってしまっていた。
    その状態で十四代座主舜有の後嗣に義統の弟を押し込もうとした。

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