呼坂という名は

2016年10月12日 14:08

237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/12(水) 13:38:56.99 ID:/BWvja7B
寛政十二年、作者の松浦清が冬になってから、平戸から江戸に出発したときの紀行から。


 十月二十五日 周防国の呼坂を出発した。
宿の主に、呼坂という名はどうのような由縁があるのか聞いた。
主は、

「豊臣太閤が朝鮮を伐ちなさった時、ここで従軍の兵卒を呼びなされたことから
名づけられたと聞き伝わっています。呼坂とはここの前にある坂を申します。
またここらへんに勝間村という村があります。
そこには勝八幡という祠があります。これは式内の社で、かつの神社とか申すと聞いています。
太閤がこの地を通られた時、この社に詣で、名を問われたので、"かつの社"と答えたら、
喜んで

『発軍に勝をいうのは吉兆である。また八幡の御神は軍神でおわしますので、
かたがた勝利の瑞である。』

と、その地の竹十二本を取って旗竿として、神祠には厚く敬礼されたとか。
またこの道は初めは花岡の駅から高森までで、南のほうを海浜の沿っていました。
太閤が薩摩を征されたときはその道を通られたが、
朝鮮を伐たれるときは新たにこの道を開かれた。」

との話をした。

(甲子夜話続編)




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    仕事でよく走るけど、国道二号線沿いのあの辺りにそんな逸話が有ったとは…

  2. 人間七七四年 | URL | -

    太閤が帰る前に道を作るというのが、この頃の豊臣家の力を示してるような気がする。

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