徳守神社と森忠政の奉納鉄盾

2016年10月18日 18:39

森忠政   
252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 17:17:10.34 ID:aUAL/OcM
徳守神社と森忠政の奉納鉄盾


現在、大阪歴史博物館で行われている特別展『真田丸』に展示されている"鉄盾"は
森忠政が大坂の陣後に徳守神社に奉納したとされ、津山市の重要文化財に指定されている。

ttp://stat.ameba.jp/user_images/20160920/19/tokumorijinjya/7a/b5/j/o2336175213753264122.jpg
o2336175213753264122[1]


盾一つの大きさは縦91cm横44cmで15kgの重さがあり、一対で30kg。
ところどころに深さの異なるくぼみや、銃弾が当たって割れたような跡がある。

森家の記録には直接この鉄盾の記載はないものの、
『駿府記』等には大坂の陣のときに家康が備後から鍛冶を呼んで鉄盾を作らせ
城内からの銃撃を竹束で防いでいた諸大名に10張ずつ配ったという記述があり
そのときに使った物ではないかと推定されている。

徳守神社では津山城完成400周年を記念し、この鉄盾のレプリカを作成する。
10月23日に行われる徳守大祭には忠政が徳守神社を造営したときの時代背景を伝えるため
今年から従来の神事に加え津山城鉄砲隊と備州岡山城鉄砲隊の発砲演武などを行い
鉄盾のレプリカもその際に使用される予定。



253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 17:35:55.52 ID:PWWTSBp7
>>252
一応防げたのか

254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 17:39:34.54 ID:gq55S696
鬼武蔵の眉間よりは頑丈だったということか

255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 20:23:28.97 ID:YdJlLrny
古田織部のハゲ頭と組み合わせればこうかはばつぐんだ!

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 21:51:26.62 ID:9mEXkEVr
ソーラレイ+重装甲か
スポンサーサイト


コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    鉄盾なんてのがあったんですな。あまり強度は期待できない?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    これか
    鮭様が左手に持ってぶんぶん振り回したという盾は
    もちろん右手には鉄製の角棒

  3. 人間七七四年 | URL | -

    このサイズの鉄板を鍛造で何十セットも…
    芝辻砲といい、費用対効果をかなぐり捨てた武器を作るのは家康流の贅沢なのだろうか

  4. 人間七七四年 | URL | -

    日本の盾は簡易バリケードだからなあ。でかいのは当然なんだがこれを手持ちにする鮭様は頭がおかしい。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    資源の問題が大きいが、基本的に日本の兵装や戦術は攻撃偏重のきらいが強いので。
    費用対効果も何も、大鉄炮も防げるような防御となると頑丈な大きな盾ぐらいしか考えつかなかったんじゃないの。
    欧州は稜堡築城と塹壕戦術が急速に発展していく時代だよね。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    古織の禿げ頭はこれより強いのか

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    大阪の陣の屏風絵見ればわかるけど、塹壕掘って近づきつつ小山を作成して稜堡にして攻撃ってのはやってるよ。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    元祖塹壕戦か

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    戦術思想の違いより大砲の普及度の違いが大きいと思う
    大砲の砲弾に対して装備品で防御することは明らかに不可能だから
    ヨーロッパの兵装がその方向に進化することはなかった
    代わりに地形そのものに手を加えて盾とする手法が発達した

  10. 人間七七四年 | URL | -

    これですかね。
    絵の演出だろうと思ってましたが実在したとは。

    ttps://commons.wikimedia.org/wiki/File:Honjo_Shigenaga_parriying_an_exploding_shell.jpg

  11. 人間七七四年 | URL | 3aXRcdxk

    欧州の重装騎兵はピストル騎兵に駆逐されてるからな
    グスタフアドルフがサーベル騎兵として復活させたが、装甲はどんどん縮小されて甚だしいものはコートや騎兵服だけになった
    ちなみにイタリア式要塞は、百年戦争末期にフランスが成した攻城砲の集中運用で従来の城壁が張子の虎になったからこそ考案されたもの
    大砲が普及していなければ、あの計算された傾斜角を持つ堡塁も城壁よりは登りやすい盛り土でしかない
    大砲が城攻めに使用された大坂の陣のあとは太平の江戸時代だから、発展のしようがなかった
    あれ以後も戦乱が続いていれば、日本式城郭がどう発展していたかは妄想の余地があるな

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    まあ重騎兵は歴史と伝統を重視するフランスとポーランドが頑張って維持し続けたおかげでナポレオン戦争時に無駄に活躍しましたけどね。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    山城あるいは詰めの城の重要性が見直される流れが生まれたかもしれない
    高所にあるというだけで砲撃の効果は減殺されるし
    大砲の的になりやすい櫓や天守を造らなくとも視野が確保できる

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/10300-f0f0fe00
この記事へのトラックバック