週間ブログ拍手ランキング【10/13~/19】

2016年10月19日 10:14

10/13~/19のブログ拍手ランキングです!



元就、軍議の席次を巡って争う 22

後藤又兵衛の陣羽織を拾ったのは 21

長篠に後詰のため出陣すべきや否や 17
7歳の女城主誕生 14
庵原朝昌の帰還 14

それがしは家康公へ庭先のハシゴを差し上げたが 13
子の善悪邪正は、親たる者のしつけによるもの 12
森武州の具足駿府では全て町頭という。 10

『心掛けた武辺は、おのずからの武辺に優っている』 9
観世大夫、神祖拝領御肩衣の事 9
呼坂という名は 9

徳守神社と森忠政の奉納鉄盾 6
情け無いことであると申さぬ者はいなかった。 6
以ての外なる行跡である。 5
いつのまにか、同族になってしまった加藤s 5
人が伝える話も時々違うものだ。 2



今週の1位はこちら!元就、軍議の席次を巡って争うです!
あの時代の武士とは面目、メンツのためなが死んでも滅びても構わない人種であり、席次争いというのはたとえ冷静な
武将であっても、珍しくないものですね。むしろそれをやらないと舐められる場面も有ったようです。
席次ではありませんが、あの徳川家康も秀吉が「天下に俺にかなう武将は居ない」と言ったとき、
「殿下は小牧長久手を忘れられたか!」と自分の優位を主張した、なんて話があります。これなんかもそれを今更主張するのは
家康に得はないんじゃないかと思うのですが、そういう首長をするのが当然、という考えから、そういう逸話が残ったのでしょうね。
しかし陰徳記の考証の雑さwまあこのあたり、甲陽軍鑑もそうなのですが、むしろ時代が近いからこその雑さ、という部分は
あったのかもしれません。記録より記憶の優先、みたいな意識が有ったのだろうなと思います。現代でも、近い時代のほうが
認識の勘違いって多いように思えますしね。

2位はこちら!後藤又兵衛の陣羽織を拾ったのはです!
水野勝成がこんな所にw長政にムカついての出奔劇といい、黒田家に対してもろくなことしていませんねw
徳川の有力譜代大名に成って帰ってきた勝成をみて、長政や後藤又兵衛はどんなふうに思ったのか。記録はありませんが、
いろいろ想像したく成ります。そういう思いを喚起してくれる、良い逸話だと思いました。

今週管理人が気になった逸話はこちら!徳守神社と森忠政の奉納鉄盾です!
よく日本の武士は西洋騎士と違って盾を持っていない、という話をする向きがありますが、源平期の大鎧などは、
腰回りにつける「佩楯」という言葉を見ても解るように、むしろ盾を体中に貼り付けたもの、といってもいいでしょう。
あと甲冑の軽装化がはじまった南北朝や戦国期には、「手盾」という、片手で持てる盾も文献などに出てきますね。
有名なのは小田原の陣で、井伊直政が鉄の手盾を持って惣構の中に乗り込んだという話があります。
そして反抗を意味する「楯突く」と云う言葉が、本来敵の矢の攻撃を防御するため、盾を揃えて据えた状態を表した言葉
だったことからも解るように、防御の姿勢を取ることはそれだけで、非常に戦闘的なことであると考えられていたようです。
そんな日本の「盾」の歴史の、おそらく最末期を飾るこの鉄盾。色々と感慨深いものだなと感じました。


今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました。いつも有難うございます!
又気に入った逸話を見つけたら、どうぞそこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
( ´ ▽ ` )
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    管理人さん、今回誤字多いです

  2. 人間七七四年 | URL | JalddpaA

    そういう指摘をするなら具体的にするべきかと。
    私は以下の2箇所しか分からなかったのであまり多いとは思いませんでしたが。

    メンツのためなが→メンツのためなら
    そういう首長→そういう主張

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    そう言う反応も本来なら当人がするべきであって、他人が干渉するのは
    余計な世話だと思うのだけど?

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