秀吉はその深き志に感じ入り

2016年10月20日 17:49

257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/20(木) 05:24:45.76 ID:MdW3IFWi
元亀元年、織田信長は摂津国野田・福島に立て籠もる三好勢を退治するため、数万騎を率いて
8月20日に出陣した。29日、野田・福島へ寄せ詰め、今攻めるという所で、大阪の本願寺が心変わりし
信長への反抗を始めた。

この頃木下秀吉は近江国北野郡にて、浅井長政の小谷城の押さえのために横山城に逗留していたが、
摂津国に一揆が蜂起したと聞いて、近江から多くの兵を揃えて急ぎ京へ上ることとなった。
この時、児小姓や若き者は横山城に残し置く、と命じた。

脇坂安治はこの時17歳であったが、召し連れてもらえないことを無念に思い、御供の直訴をしようと
考えていた所、秀吉の船を長浜から直に大津に廻すと聞いて、密かにその船に忍び込み隠れた。
船奉行はそうとも知らず、その日のうちに大津に船が到着すると、安治は船より走り出て松本の
傍まで行き、道脇に伺候して秀吉の馬が来るのを待った。

秀吉は馬上より安治を見ると、以ての外に立腹し
「我が命に背き、隠れ来る事曲事である!しかし若輩なる者の志有ることは感じられる。
今夜は側に召し使うが、夜が明ければまた船にて長浜に返すべし。」

そう命ぜられ、安治はこれに「畏まり候」と答えた。

しかしその夜、また大津を忍び出て京都へ馳せ上がり、三条の橋の傍にて夜を明かし、また道脇に伺候して
御馬を待った。

秀吉は馬上より再び安治の姿を見て言葉も発せず、重ねてここまで来ること、いよいよ曲事だとは思ったが、
その深き志に感じ入り、それより乗り換えの馬を安治に貸し与え、供をさせた。

(脇坂記)



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    ある種の人気バンドのツアー中の出待ちにも似た状況だねw

  2. 人間七七四年 | URL | -

    えっと、要するに根気負けしたってこと?

  3. 人間七七四年 | URL | -

    まさか貂の皮もこの手でゲットしたのでは

  4. 人間七七四年 | URL | -

    出典が微妙に違うような気もするけど既出やないか

  5. 人間七七四年 | URL | -

    この頃の秀吉の地位を考えると、ここまで慕ってくれる部下がいるのは、
    なんだかんだで嬉しかったんじゃなかろうかと思う。

    ラスボス化した後なら下手すりゃ1回目で刀の錆になってただろうに。

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