265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/21(金) 00:37:34.28 ID:rAcw/9qK
松浦肥前入道殿、毛利元就の亭に誘引
長村内蔵助が生きていたときに茶堂慈斎に語ったというのを、
人が聞き伝えて予に告げた。
さて慈斎もまた没して十余年、予もまた長村が話が耳に残っており、今顧念してみる。
あるとき平戸の隣邑の唐津から商人が来て、その人がもたらした中に、古文書の廃紙が多かった。
長村はその中を取り調べると、
『毛利元就の亭に茶会があったとき、松浦肥前入道(隆信)も参られ同伴致された』
『毛利の一族某の人に、誘引すべし』
といった書簡があった。
そんなものを長村が計らずすも獲たことは、誠に千載の奇遇であったと。
道可公(松浦隆信)はその頃はわずかに小島の宰で、
元就は十州太守であり彼と比すれば、小大甚だしく異なっている。
それなのにかく大家の衆会に招かれなさたことは、
いかにも御武運高徳、下に伏しなされる輩ではないことを知っていたのだろう。
との話をしたそうだ。
長村の言葉を今思うと、この文書はどこにいったのであろうか。非常に惜しまれることだ。
(甲子夜話三篇)
さすが、元就
抜け目ないですね
松浦肥前入道殿、毛利元就の亭に誘引
長村内蔵助が生きていたときに茶堂慈斎に語ったというのを、
人が聞き伝えて予に告げた。
さて慈斎もまた没して十余年、予もまた長村が話が耳に残っており、今顧念してみる。
あるとき平戸の隣邑の唐津から商人が来て、その人がもたらした中に、古文書の廃紙が多かった。
長村はその中を取り調べると、
『毛利元就の亭に茶会があったとき、松浦肥前入道(隆信)も参られ同伴致された』
『毛利の一族某の人に、誘引すべし』
といった書簡があった。
そんなものを長村が計らずすも獲たことは、誠に千載の奇遇であったと。
道可公(松浦隆信)はその頃はわずかに小島の宰で、
元就は十州太守であり彼と比すれば、小大甚だしく異なっている。
それなのにかく大家の衆会に招かれなさたことは、
いかにも御武運高徳、下に伏しなされる輩ではないことを知っていたのだろう。
との話をしたそうだ。
長村の言葉を今思うと、この文書はどこにいったのであろうか。非常に惜しまれることだ。
(甲子夜話三篇)
さすが、元就
抜け目ないですね
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コメント
人間七七四年 | URL | -
宇喜多直家「どれ、わしも茶会に誘ってみるか。」
( 2016年10月21日 09:31 )
人間七七四年 | URL | NTJgKIh6
元就公を持ちあげ、さりげなく御先祖の道可隆信公も持ち上げているのも面白い
( 2016年10月21日 15:11 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
いつごろの逸話なんだろうか?
元就存命かつ十州太守ってことは尼子家滅亡(永禄9年)から没(元亀2年)までの約5年間。
このころ松浦は毛利と敵対する大友に属していたはず。
( 2016年10月21日 16:40 )
人間七七四年 | URL | sSHoJftA
米3
毛利としては、対大友戦を有利に進めるために、寝返ってくれる人がいればありがたいわけで
( 2016年10月21日 20:05 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
※1
松浦さんって、正直宇喜多さんレベルで怖いおっさんやで
あっちから茶会に誘われたら誘殺されかねない
( 2016年10月21日 20:05 )
人間七七四年 | URL | -
大内から奪った博多権益を守護りたい毛利家にしちゃあ、松浦が味方してくれたら大きなアドバンテージだよな
( 2016年10月21日 22:42 )
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