268 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/23(日) 15:48:23.69 ID:Wm6PdRyD
天正4年、織田信長が近江国安土山に築城する時、この普請を丹羽長秀に仰せ付け、長秀は正月17日に
安土山に入った。諸国の織田家の大名も同じく安土に至り、四方より石垣のための石を採取し夜に日をついで
急ぎ輸送した。
この時、脇坂安治は羽柴秀吉の使いとして、下僕一人を従えただけで書状を持って安土に向かっていたが、
この途中、丹羽家の郎党たちが、秀吉の験の付いた大石を、人足数多に運ばせているのを発見した。
安治は怒鳴りつけた
「その石をどこから取ってきたか!?」
そう押し止めると刀にて石に結ばれた縄を切り石を落とした。怒った石運びの奉行の郎党たちは安治に
襲い掛かってきたが、逆に追い散らし、奉行も人質に捕らえた。
秀吉はこの安治の所業を聴くと激怒した
「かかる目出度い普請の砌に、このような騒動を起こすとは曲事である!安治を折檻せよ!」
ところが丹羽長秀が帰宅の途中、秀吉の屋敷に立ち寄り、安治の忠節を褒め、彼に様々に理があると言った。
これにより安治は許され、その年、知行百五十石を与えられた。
(脇坂記)
269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/23(日) 23:34:18.48 ID:0wNx8Ksp
安定の五郎左さんだが、そういや五郎左さんの織田家の序列って
どんなもんなんだっけ?
小説とかでは、佐久間追放後は織田家ナンバー2扱いだけど、
織田家四天王に入っている割には、石高が圧倒的に下で、軍団長にも
任命されずじまい。(好意的な視点では信孝の副将=実質的な総大将だけどさ)
信長末期時での立場とか考えると、光秀・勝家よりは下で、「信長の古参中の古参」
ということで、秀吉や一益よりは上(ただし絶対的な差はない)あたりかねえ。
天正4年、織田信長が近江国安土山に築城する時、この普請を丹羽長秀に仰せ付け、長秀は正月17日に
安土山に入った。諸国の織田家の大名も同じく安土に至り、四方より石垣のための石を採取し夜に日をついで
急ぎ輸送した。
この時、脇坂安治は羽柴秀吉の使いとして、下僕一人を従えただけで書状を持って安土に向かっていたが、
この途中、丹羽家の郎党たちが、秀吉の験の付いた大石を、人足数多に運ばせているのを発見した。
安治は怒鳴りつけた
「その石をどこから取ってきたか!?」
そう押し止めると刀にて石に結ばれた縄を切り石を落とした。怒った石運びの奉行の郎党たちは安治に
襲い掛かってきたが、逆に追い散らし、奉行も人質に捕らえた。
秀吉はこの安治の所業を聴くと激怒した
「かかる目出度い普請の砌に、このような騒動を起こすとは曲事である!安治を折檻せよ!」
ところが丹羽長秀が帰宅の途中、秀吉の屋敷に立ち寄り、安治の忠節を褒め、彼に様々に理があると言った。
これにより安治は許され、その年、知行百五十石を与えられた。
(脇坂記)
269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/23(日) 23:34:18.48 ID:0wNx8Ksp
安定の五郎左さんだが、そういや五郎左さんの織田家の序列って
どんなもんなんだっけ?
小説とかでは、佐久間追放後は織田家ナンバー2扱いだけど、
織田家四天王に入っている割には、石高が圧倒的に下で、軍団長にも
任命されずじまい。(好意的な視点では信孝の副将=実質的な総大将だけどさ)
信長末期時での立場とか考えると、光秀・勝家よりは下で、「信長の古参中の古参」
ということで、秀吉や一益よりは上(ただし絶対的な差はない)あたりかねえ。
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コメント
人間七七四年 | URL | -
さすが戦国時代。
怪しいと直感→とりあえず暴力で鎮圧→真相究明
誤解でも暴力で鎮圧できれば正義という謎風潮。
( 2016年10月23日 18:55 )
人間七七四年 | URL | -
良く事の経緯が分からないな。秀吉が集めた石を盗んだのを発見してしまった場面なのか?
それとも、何らかの依頼が合って変わりに運んでいるのを安治が先走ってしまったのか?
一応長秀側が褒めてる以上、やっぱり盗んだんだろうけど。
秀吉も一応トラブル避けるために怒ったんでしょうね(逸話的に)。
( 2016年10月24日 06:10 )
人間七七四年 | URL | -
脇坂記はあれだな。
「安治が何かする→秀吉が激怒する→なんだかんだで許される」ってパターンがテンプレ化しとるね。
発見された文書でも秀吉が起こってるのもあったし、安治がアレなのか秀吉が怒りっぽいのか…
( 2016年10月24日 07:56 )
人間七七四年 | URL | -
上司に喧嘩売って出世するスタイル
( 2016年10月24日 09:07 )
人間七七四年 | URL | -
安治も相手方が五郎左さん家の人でラッキーだな。
これが武蔵さん家の人だったら....。
( 2016年10月24日 09:37 )
人間七七四年 | URL | -
安治さんが短気なところもあるのだろうけど
リアルタイム情報伝達が不可能な時代だから
ある程度仕方がない一面もあるような…
( 2016年10月24日 10:23 )
人間七七四年 | URL | -
そう言えば、脇坂安治って韓国だと水軍の強敵として認識されてるらしいねw
実際決して無能な方ではないけど、やっぱり影は薄く感じる
( 2016年10月24日 14:41 )
人間七七四年 | URL | -
※7
壬辰倭乱ものは繰り返しドラマになっているらしいから知名度があってもおかしくないな
もっとも李舜臣が完勝した相手が只の小物ではつまらないという脚本上の都合もあるかも
(´・ω・`)「ドラマでの描かれ方に世間のイメージが引っ張られることってよくあるよね」
( 2016年10月24日 17:40 )
人間七七四年 | URL | -
※8
水戸黄門&暴れん坊将軍「せやな」
( 2016年10月25日 22:32 )
人間七七四年 | URL | -
※7
日本だと
一般人→ダレソレ?
日本史に詳しい人→七本槍の名前が出てこない人物第3位を片桐と争ってる
豊臣好き→変なエピソードたくさん持ってる目立ちたがりな人
ってところがせいぜいでことごとく微妙なラインだよなあ。
( 2016年10月25日 22:50 )
人間七七四年 | URL | -
※10
脇坂安治「関ヶ原・・・(ポツリ)」
( 2016年10月26日 11:12 )
人間七七四年 | URL | -
※11
その時は金吾殿の添え物じゃん
( 2016年10月26日 21:06 )
人間七七四年 | URL | -
※10
ボトムズコピペを思い出したので
■一般人の認識
加藤清正:朝鮮で虎狩り
福島正則:黒田節、酒癖がわるい
片桐且元:苦労人
加藤嘉明:誰それ
脇坂安治:甚内、中務少輔。賤ヶ岳七本槍のひとり。明智光秀に仕えて丹波黒井城攻めで功を立て、敵将赤井直正より貂の皮の旗指物を贈られた。脇坂家は後の徳川時代でも行列の槍先に貂の皮を付けたという。その後羽柴秀吉配下となり各地を転戦、朝鮮の役では水軍を率いた。関ヶ原の戦いでは西軍だったが東軍に内応、所領を安堵された。
( 2016年10月26日 21:58 )
人間七七四年 | URL | -
※13
平野・糟屋「あ、あの、我々の評価は・・・」
( 2016年10月27日 08:11 )
人間七七四年 | URL | -
※12
それは理由になっても居ないね
参加していたのは事実なのだから、事実を事実として
見れないのは駄目でしょう
( 2016年10月27日 15:53 )
人間七七四年 | URL | -
※15
知名度の話をしてるところにいきなり事実云々を持ち出すそのセンス、嫌いじゃないぜ。
友達にはなりたくないけどな。
( 2016年10月27日 19:06 )
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