239 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/25(火) 05:15:08.44 ID:dsNNs2EC
嶋原の賊矢文
薩州の支、佐土原侯〔島津筑後守〕の臣の某が持ち伝えている、
寛永中の耶蘇一揆のときに、原の城中から寄せ手に射遺した矢文として、
伝写したものを見た。
本書は今なおかの臣の家にあるという。
その文は憎むべきものだ。
これがまさに彼らが賊徒であるゆえんである。
「矢文
『一、当城之土民、宗門ノ為メニ尸ヲ山ニ捨て、名ヲ後代ニ留メント欲ス。
之ニ加ルニ忝モ上使板倉内膳正ヲ討チ奉リ、生前死後之本望、之ニ過グベカラズ候。
冀クハ近日一戦遂、万死ヲ顧ズ、尽ク相果ン。
且又余慢有ルニ依テ、狂歌ヲ綴リ軍中ニ放ツ者乎。一笑セヨ。』
一戦功成テ古城ヲ鎖ス、 三軍ガ死ヲ望テ責レドモ成シ難シ、
九州ノ大勢十余万、 一冬立チ尽シテ花ノリヲ待ツ。
島原や有馬の城を責かねて 心づくしに見ゆる上使衆
肥後守いかに心は細川や なかながし日をあかし暮らして
物数寄は越中流とききければ 敵にあふてはならぬ物数寄
有吉や頼むかひなき先手にて 敵をばうたで味方をぞうつ
信濃路や敵に心をかけ橋の かいがい敷もあぐるせい楼
立花や袖の香ふれし昔より 猶かふばしき武士の道
有馬山すそのの桜咲みだれ 軍は華を散す古城
寛永十五年寅三月日」
(甲子夜話)
嶋原の賊矢文
薩州の支、佐土原侯〔島津筑後守〕の臣の某が持ち伝えている、
寛永中の耶蘇一揆のときに、原の城中から寄せ手に射遺した矢文として、
伝写したものを見た。
本書は今なおかの臣の家にあるという。
その文は憎むべきものだ。
これがまさに彼らが賊徒であるゆえんである。
「矢文
『一、当城之土民、宗門ノ為メニ尸ヲ山ニ捨て、名ヲ後代ニ留メント欲ス。
之ニ加ルニ忝モ上使板倉内膳正ヲ討チ奉リ、生前死後之本望、之ニ過グベカラズ候。
冀クハ近日一戦遂、万死ヲ顧ズ、尽ク相果ン。
且又余慢有ルニ依テ、狂歌ヲ綴リ軍中ニ放ツ者乎。一笑セヨ。』
一戦功成テ古城ヲ鎖ス、 三軍ガ死ヲ望テ責レドモ成シ難シ、
九州ノ大勢十余万、 一冬立チ尽シテ花ノリヲ待ツ。
島原や有馬の城を責かねて 心づくしに見ゆる上使衆
肥後守いかに心は細川や なかながし日をあかし暮らして
物数寄は越中流とききければ 敵にあふてはならぬ物数寄
有吉や頼むかひなき先手にて 敵をばうたで味方をぞうつ
信濃路や敵に心をかけ橋の かいがい敷もあぐるせい楼
立花や袖の香ふれし昔より 猶かふばしき武士の道
有馬山すそのの桜咲みだれ 軍は華を散す古城
寛永十五年寅三月日」
(甲子夜話)
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コメント
人間七七四年 | URL | -
黒田は忘れられているのか・・・。
( 2016年10月26日 15:10 )
人間七七四年 | URL | -
天草四郎って、「秀頼の子」とか、「美輪明宏に生まれ変わった」とか、色々言われてるよね。
( 2016年10月26日 21:57 )
人間七七四年 | URL | -
あと、原城は二月末に陥落していたはず。
( 2016年10月27日 09:51 )
人間七七四年 | URL | -
なんか立花さんは褒められてる気がする
( 2016年12月08日 23:45 )
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