また先年、(武田信玄は)嫡男の武田太郎義信をも生害しなさった。
その理由は、義信が父を討って家督を取ろうという陰謀をしたところ、
これが信玄の耳に入り、さえぎって義信を牢者とし、しまいに義信は
毒物により相果てなさった。
さては、父を追い出し子を殺して、甥の氏真の国を奪い取ったので、
大悪行を為したと思ったのだろうか、何者の仕業なのか次のような
落書があった。
「子を殺し 親に添てそ 追出す かかる心を 武田とや云」
――『当代記』
264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/30(日) 02:33:47.44 ID:+J0gnCcp
猛だってこと?
コメント
人間七七四年 | URL | -
ぬすっと武田家しい
( 2016年11月03日 11:42 )
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