御羽織屋

2016年11月03日 15:14

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/02(水) 21:47:51.73 ID:lfNZXcD+
 宇都谷峠の手前、宇都谷村立場の茶屋は昔はひどく貧者で、
馬の沓などを作って暮らしていた。
そこに神君が大阪御陣のときに、その家で馬の沓を見たので、
神君自ら


「ここの親父、沓一足くれよ」


と仰せられた。茶屋はかしこまりました、と沓を片方差し上げた。


「片方はどうしたのだ」


とお尋ねがあると


「片方は御帰陣のときに差し上げたいと思います。」


と申し上げると、神君は御喜悦で、


「出陣の吉事である。よく申した。何なりとも相応の望みを申せ」


と上意があった。


「あなた様のめされています御羽織を拝領したい」


と願われましたので、すぐに着られていた錦の御陣羽織をその者に下された。
よって今も大切に家の宝物として伝わっている。


 しかし御羽織を大名方が通行のとき拝見したいとのことで持ち出したときに、
望む人には二三寸程ずつ切り取らせているので、
今では御羽織は半分ばかりになったという。
この家名を御羽織屋と称しており、今は善右衛門という。
(甲子夜話)




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >>褒美大切に家の宝物
    大切に扱ってねーじゃん!ねだって貰っておきながら物の価値が分からない親父だな

    これが焼き味噌が欲しいといってたらくれたんだろうか?
    で、大名達に配ると・・・

  2. 人間七七四年 | URL | -

    あれ?別の時は小田原向かう秀吉だったが

  3. 人間七七四年 | URL | -

    宇津ノ谷、または宇津谷だと思っていたけど。宇都谷と書いている資料もあるのかな。
    ちなみに、峠の西側、現在は藤枝市になっているけど、岡部町には内谷という字名が有って、うつたに、と読みます。
    どちらが古い地名なのかな?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    大名がげんを担ごうとするのにノーと言ったら
    半分になるのは自分だからね仕方ないね

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