我々両名はここを抜け出し

2016年11月21日 17:33

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/20(日) 18:48:03.06 ID:xqceRrEW
慶長4年正月19日の夕方、徳川家康の屋敷に、石田三成が大将となって攻めかかってくるとの沙汰があった。
徳川屋敷では俄な事でも有り、屋敷の角々に材木、石、棒などによって縄からけの櫓を掛け、敵が
攻めてくるのは今か今かと待ち構えていた。

この時、本多大和守(政重)と本多三弥(正重)は、こう話し合った
「屋敷のうちでどれだけの働きをしても、家に火をかけられ、煙の下で果てるのは口惜しい事だ。。
敵の軍勢が来て屋敷に火をかけてくれば、我々両名はここを抜け出し、その時治部少輔は城の大手広庭に
腰を掛けて下知をしているだろうから、そこに『家康内の者、降参人』と名乗り出よう。
そうすれば、屋敷の様子を聴くために、呼び出されるであろうから、その時二人のうち一人でも、飛びかかって
治部を刺し殺そう。」

このように言い定めたが、その夜、軍勢が攻めかかってくることもなく、翌日から世の中も、
普段と変わりない様子であった。

(慶長年中卜斎記)



335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/21(月) 09:29:13.20 ID:hkhrhd0c
>>333
本多政重はこの時期どの家中よ?

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/21(月) 20:47:42.74 ID:177qegiu
例のやらかしで徳川家出奔中なんだけど、この時期だと大谷なんだか宇喜多なんだか

338 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/22(火) 16:12:52.35 ID:JNcF8IPW
>>336
宇喜多騒動は何月だっけ?

慶長年中卜斎記もそういうところは研究ってされてるのかね
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    学校にテロリストがという妄想が必須な時代

  2. 人間七七四年 | URL | -

    どっちも読みが同じで紛らわしいな

  3. 人間七七四年 | URL | -

    荊軻さん「ちょっと使い古された手だと思うけどな」
    遠藤さん「三成なら通用するかなぁ?」

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