そこに一人の山伏が現れた。

2016年11月24日 14:36

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/24(木) 09:47:03.80 ID:GifEEbwp
島津兵庫頭(義弘)は関が原の合戦に負け、伊勢路を通り、伊賀国を経て和泉国に出、住吉の浦より
船に乗り、白地に黒十文字の旗を立て尼崎の方へ向かった。

この時、立花左近(宗茂)も西軍敗戦により大阪から船にて国元へと下っていた。すると横より
十文字の旗を立てた船が来るのを見て、宗茂は「加藤左馬介(嘉明)の船か、と思ったが、
その船より、『島津兵庫頭が合戦に負けたため国に下る船であること。同道いたしたい』との
使いが参ったため、同道して筑後国の国境まで同道した。

その先の肥前国は、当時の情勢として通過するのが非常に難しい国であったため、立花左近は兵庫頭に、
薩摩に行くのを諦め、一旦筑後に留まるようにと様々に説得したが、兵庫頭は謝絶し、薩摩へと
向かうことに成った。

しかし肥前と筑後の間には大河があり、しかも船がなく、どうやって船を求め川を越えようかと
思い悩んでいた所、そこに一人の山伏が現れた。

山伏は言った「この河は歩いて渡ることが出来ます。瀬を教えましょう。」
そうして兵庫頭一行を案内したが、その言葉に相違なく、無事大河を歩いて越えることが出来た。

兵庫頭は河を超えた所で山伏を呼んだが、山伏の姿は見えなくなっていた。
そのあたりの住民に山伏について色々と尋ねたが、彼らは一様に「そもそもこのあたりに
山伏はいません。」と答えた。
その後も島津兵庫頭、立花左近は様々に尋ねたが、ついに山伏は見つからなかった。

これは後年、立花殿が語ったことである。

(慶長年中卜斎記)



346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/24(木) 10:30:52.61 ID:1sU8tIY/
パーフェクト伝説がまた増えたか

347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/24(木) 13:44:40.94 ID:3l/VneXT
薩摩まで船でいけないんだな

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/24(木) 19:48:30.13 ID:8D69oZrn
>>345
山伏じゃなくてモーゼだったか

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/24(木) 21:19:13.59 ID:R0KKCQ/z
>>345
なんで筑後方面に行ったんだろ?

豊後水道通って日向から薩摩に行ったほうが良いような?
勝手にそのルートだと思ってたんだが違ったのか。

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/24(木) 21:49:07.97 ID:8D69oZrn
黒田や伊東が東軍だからじゃないかな?

352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/24(木) 22:19:18.84 ID:DqhLpzHV
義弘と宗茂は9月26日に周防国の大島で対面するまでは同行してたようだけど
その翌日に豊後水道を北と南に別れて、義弘は日向の佐土原に行ってから薩摩に帰ったみたい

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/24(木) 23:06:03.85 ID:7ZS6/8Wc
まぁ実際は義弘の船は筑後方面には行ってないよね

だから黒田勢と別府湾あたりで海戦に及んでるし、日向の細島湊から上陸した際は、
島津方の村尾重侯らが伊東勢と合戦に及びながら義弘を迎えに来ている
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    いやあの辺り普通に山伏いるでしょ
    英彦山から脊振にかけて修験道の行場だし

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ・・・いやいや、それ以前に島津一行は筑後・肥前方面へは行ってないし


    宗茂と再会した安芸の日向泊を9月27日に出航して周防に一旦停泊したあと、豊後の国東半島付近を南に折れて日向に向かってるから

  3. 人間七七四年 | URL | -

    宗茂も晩年は相当ボケてたってことか

  4. 人間七七四年 | URL | -

    コレはパーフェクト宗茂伝説のかなりを見直さなければならないかもなw
    卜斉が西軍派の大名のことをわざわざ嘘書くとも思えないし、本当に宗茂から聞いたことだろう
    家光に可愛がられているし政宗と違う方向で話を盛って面白おかしく逸話を語っていたんじゃないのかな

  5. 人間七七四年 | URL | -

    聞いた話が正確に書かれているかまでは分からないけどね。

    慶長年中卜斎記は後年に書かれたもののようで、ときたま豪快に年月日をを間違ったりしてる事もあるから地名なども聞き間違えや書き間違えなんて事もあるかも知れん。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    島津家臣の覚書だと関ヶ原の後、義弘達が戦死したって誤報が流れてたんで
    大坂城で人質になってた亀寿達を立花宗茂が気遣って
    「御前様を柳川勢とともにお国許にお送り致したい」と申し出てくれたんで
    亀寿一行を通じて、無事だった義弘の船と同行することになったらしいな

  7. 人間七七四年 | URL | -

    島津さんの舟がジミーさんの旗印(白地に黒十文字だけど下に延びる棒が長い)を使ったのは
    瀬戸内海をどうにか安全?に渡るためだったんだろうけど
    立花さんの舟はそのまんま自家の旗を立ててたのだろうか…
    じゃないと同道してくれなんて頼まれないだろうし

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