週間ブログ拍手ランキング【11/24~/30】

2016年11月30日 17:20

11/24~/30のブログ拍手ランキングです!


隆元と元春(2) 抜け駆け禁止令違反者の処分の事 23

隆元と元春(1) 槌山攻めにて隆元激怒の事 21

そこに一人の山伏が現れた。 15
秀頼は毎度、惣構を巡って、 13

垣築地騒動 12
果して、宗茂公は二十年振りに 12
伏見馬揃えの事 11

豊臣関白北條征伐出陣の事 9
伊勢から駿河までの城主は、聚楽の豊臣秀次に 8
六間堀神明、雁披の事 6
亀ヶ谷山結成寺の墓 6

小倉侯数具足の由来 5
旗奉行は武功の者を撰ぶ 5
秀頼の御袋は武具を着けて番所を改めなさり 5
駿府城本丸女房局に火をつたるの間 2
三宅辰介親子3人を生害なさった。 2



今週の1位、2位はこちら!
隆元と元春(2) 抜け駆け禁止令違反者の処分の事
隆元と元春(1) 槌山攻めにて隆元激怒の事
この一連の逸話です!
「抜け駆け」に厳しく対処しようとする毛利隆元と、それを許容してしまっている吉川元春、毛利元就。
なんというか、大将の悩みですね。
軍隊の理想としては、隆元の対処があるべき姿でしょう。しかし現実的には、当時まだまだ国衆連合にすぎない毛利家にとって、
自分の軍隊であったとしてもそこまでの統制は出来ない。
どちらがいい悪いの話ではなく、一種の役割分担なのではないか、と感じました。
まあその意味であったとしても隆元は、周りから嫌われる、そんな役割を担ってしまっているわけですがw
なんというかそういうのが、嫡男の責任、なのかなあと思いました。そして、隆元がそういう役割ができる人物だったからこそ、
彼の死に、元就を始めとした毛利家の人々が大きく動揺したのではないか。
そんな事まで想像してしまいました。
色々と考えさせてくれる、いい逸話だと思います。

今週管理人が気になった逸話はこちら!伊勢から駿河までの城主は、聚楽の豊臣秀次にです!
秀吉の「隠居城」である伏見城建築にあたり、秀吉は東海地域以外の大名はすべて、この伏見に集合させたというお話ですが、
その「権力」を露骨に可視化するものであり、それこそ「関白は譲っても家督を譲った覚えはない」という秀吉の意思が強烈に
表れたものといえるでしょう。
やはり対照的だな、と思うのは、徳川家康がその「隠居城」である駿府には、藤堂高虎を除いて、大名が屋敷を建設することを
許さなかった、という話です。「德川の城下」はあくまで、秀忠が統治する江戸だけであり、それに従う諸大名は、江戸に屋敷を
作ることを要請されました。
家康のこの態度は、もしかすると秀吉のこう云った姿勢を反面教師として学んだものかもしれませんが、だとすると家康は
秀吉のこういった政策を批判的に見ていたということに成り、色々と想像が膨らむ話だな、と感じました。



今週もたくさんの拍手を、各逸話にいただきました!いつも有難うございます。
また気に入った逸話を見つけたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
( ´ ▽ ` )
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    たしかに、家康は信玄を尊敬してるイメージがあるけど、後半生は信長秀吉の影響を多方面で受けてそうですね

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