一乱の前年に逝去したのは

2016年12月01日 16:20

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/30(水) 17:24:29.85 ID:uyfCbhaP
一乱の前年に逝去したのは


池田輝政の妹は秀次の御台所だったので、そのことから
秀次が持っていた薬師院肩衝を輝政が所望したことがあった。
太閤はそれを聞いて
「その茶入は三左衛門(輝政)に与えなさい、その代わりに投頭巾の茶入をあげよう」
と言って秀次に投頭巾の茶入をやったが、秀次は薬師院の茶入を輝政に与えなかった。

その後秀次は生害し、聚楽の御殿は破却され宝物は悉く伏見の御城へ上り
薬師院の茶入も伏見へ上っていた。諸大名の内で秀次へ一味した者がいないかと
ご吟味があり(輝政は)誓詞を仰せ付けられた。

ある人が
「三左衛門は秀次の縁者なので一番にご吟味されるべきだ!」
と言うと、太閤は
「三左衛門が一味ではないのは明らかである。
 その訳は(輝政が)所望の茶入の代わりを(秀次が)受け取りながら
 三左衛門に与えなかったというこの恨みは深いので疑う所はない」
とし、その後太閤は薬師院の茶入を三左衛門に与えられたという。

以上のことは真田将監(池田家臣)が物語したことだが、池田家譜で
秀次から拝領したとしているのは誤りだろうか。
秀次の御台所は一乱(秀次事件)の前年に聚楽で逝去していたので、
そのことを池田家の吉事と言ったという。


――『古老物語聞書』



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    池田出身の秀次嫁って
    病死説と、秀次と仲悪すぎて粛清から免れた説とあって
    どっちやねん、て感じだな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    自分が見た説では、秀次の継室が公家の嫁になってるから
    関白の嫁を武家の娘が務めるのは難しいので離縁したのでは?ってのを見たり
    結局史料がなさすぎてどうとも言えない感じみたいだが

  3. 人間七七四年 | URL | -

    お寧さんでは関白の妻は務まらなかったと?

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