相馬顕胤が愛憐深く、義理を重んじる人であったので

2016年12月13日 09:11

409 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/12(月) 23:31:05.05 ID:LYbS+1jX
老武士たちの語る所によれば、相馬顕胤は相馬三郡の武士を総動員して戦ったのは三度であった。
小戦での働きは度々に及んだ。しかし近郡を尺地も犯すことはなかった。実に良将の器であった。
その封土を今見てみれば、東は一里あまり。南は行程十三里あまり、西は六里に近く北は二里に足らず。
漁樵は便を得てその利多し。地雄人傑にして東方の険地である。
魚鳥禽獣尽く集まり、木竹は豊かで、漁樵五穀の利は挙げても尽くしがたいほどであった。
そして相馬顕胤が愛憐深く、義理を重んじる人であったので、人々はみなこれに懐いた。

しかし、牛渡兄弟だけは違った。
牛渡治部とその舎弟、近江は、所領のことで恨みを含む事があり、岩城へと亡命した。

相馬顕胤が富岡に在城していた時、牛渡兄弟は岩城氏に「野伏を三百人ほどお預けいただきたい。
富岡を取って参りましょう。」と申し上げると、了承され望むに任せ富岡へと差し越された。

ところがそこで兄弟は、幾千ともしれぬ大量の人魂が、まるで蛍火のように乱れ飛ぶのを目撃した。

近江は思わず、兄に言った
「この奇怪の甚だしさよ。夜討ちは止めるべきではないでしょうか?」
しかし兄の治部は答えた
「日限を定めてここまで来たと言うのに、帰れば人の嘲りを受けるだろう。しかしお前は帰れ。」
そう言われ、近江は岩城へと帰っていった。

そうして牛渡治部は富岡城に夜討ちを仕掛けたが、彼の襲撃は城中において既に察知されており、
待ち構えていた所に寄せてきたのを、追い散らし、ここで治部は討ち取られた。

牛渡近江はその後伊達へと行き、そしてまた標葉に戻った。
その事を知った相馬顕胤は、江井河内、岡田摂津に、岡田宅に近江を呼び寄せ討ち取るように仰せ付けた。
江井、岡田の両人は相談し、牛渡近江を呼び、酒肴を勧めた後、江井はこう言った

「牛渡殿の御刀は達磨正宗にて、名誉の切物と承っている。どうか見せてくれないだろうか?」

この望みに牛渡近江
「貴殿も大原真盛の太刀にて、度々の功名隠れなし。それを、私にも見せてほしい。」

こうして互いに抜いて、左右の手に取り替えて見て、その後また返し、互いに鞘に収めた。
近江は退出する間際に
「この牛渡を謀って討とうなど、思いもよらぬことだ!」
と言って帰っていった。

その後、牛渡近江は小高に来て、宿老を通じて相馬顕胤に面会し、言った
「私は流浪の身となるよりは、死して御屋形様の憎しみを晴らして差し上げましょう!」
そう申し上げると自分の太刀、刀を投げ捨てた。

これを見て相馬顕胤は言った
「虎狼も牙がなければ、誰がその威を恐れるだろうか。」
そして近江の帰参を認め、扶持を与えた。

相馬顕胤は質素純朴で、普段から近習外様を集め古今の政治について議論し、賢愚得失を評した。
彼は常にこう言っていた
「私が人を捨てなければ、人もまた、私を捨てないだろう。」

(奧相茶話記)



411 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/13(火) 17:32:27.28 ID:W90PPjNz
>>409
そんな豊かな土地だったのに今じゃ

412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/13(火) 17:58:42.17 ID:Zl37lP2U
>>409
人魂はなんだったんだ…?

416 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/14(水) 06:50:55.86 ID:8BFODaSn
>>412
治部兄貴たち襲撃者の魂が飛散するさま

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    地味だけど四代続いて名君だよな相馬さんは。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    今でも当主が野馬追いに参加するんだっけ?

  3. 人間七七四年 | URL | -

    隣がアレで苦労したけど、それでお家が続いたり、禍福はなんとやら。

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