蜂須賀阿波守(至鎮)の臣中村右近(重勝)は夜討の時に討死した。
十五歳であった稲田九郎兵衛(植次)が右近の首を取り返した。
右近の子は(後には美作守と号し)そのとき十一歳で、幼少だったので在国していたが、
組子守りの為在所から呼び迎えられた。
阿波守と対面すると右近の討死の事を申し立てた。
かねて阿波守は右近と懇意にしていたから事情を話すと、
「首を晒される事は、武士の本意です。
どうしてその首がここにあるのですか!!
犬死をしてしまったということですか!!!!」
と弁舌明らかに申した。
阿波守は聞いて、
「誠に虎の子は乳を飲む時より百獣をのむ気があるものだ。
心配しなくともよい。
右近の首は稲田が取り返してきたからここにあるのだ。
右近の働きは比類なかったぞ。」
と重ねて言うと、そのときにやっと合点した顔つきとなったそうだ。
(武士としては)
首を晒される事って本意と言われる程素晴らしい事だったんですね。
負けたら隠れて切腹して、首をとられないよう部下に運ばせる話をよく聞くので
首を晒されるのは恥だとばかり思ってました
421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/17(土) 12:16:36.20 ID:2lC0CIdk
首実検されずに捨て置かれたと勘違いしたのであろうな。
コメント
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長可「つまり俺は武士の本意を考えて首を晒してあげる素晴らしい男ということだな」
( 2016年12月17日 12:52 )
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政宗「俺もそう思って武士も女子供も、はたまた牛馬に至るまで首を晒してあげたんだよ!」
( 2016年12月17日 14:13 )
人間七七四年 | URL | -
稲田植次が15の時の話だというなら、これは大阪の陣の話だろう。
犬死(無駄死に)じゃないかって言ってるんだから、全体としては勝ち戦において、
さらに夜討ちという、こちらから仕掛けた戦のくせに、
戦況が悪く、切腹して首を持ち帰らせたなら、恥ずかしくね?ってことじゃなかろうか。
( 2016年12月17日 16:48 )
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鬼のあなた様は首と胴が離れてないと蘇る気がしてなりませぬ…
( 2016年12月17日 18:25 )
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首と胴が離れても某将門公ばりに蘇ろうとする気が
( 2016年12月18日 07:05 )
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むしろ、首と胴で「二人分ヒャハーできるぜ!」と勇むお姿が目に浮かぶ
( 2016年12月18日 08:29 )
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本多八蔵松「ヤバそうな荒武者だったから、死体から鼻削いで脇差奪っといたぞ」
( 2016年12月18日 08:36 )
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龍造寺隆信さんが何か言いたそうな顔をして、こっちを見ています。
話を聞きますか?
はい
いいえ←
( 2016年12月18日 09:57 )
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