愛宕に武運を

2016年12月23日 21:10

454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/22(木) 22:21:14.83 ID:QUkoz0tZ
徳川家康と豊臣秀頼の二条城会見が終わって後日のこと。

家康は近臣と雑談している時、こんな事を言った
「去る三月、加藤清正は秀頼に供奉して上洛したが、彼は退出の時、西天の方に目を注いだ。
これについてお前達は何故だと思うか?」

しかしこの問に、答えられるものは一人も居なかった。

暫くして家康は言った
「秀頼の上洛に供奉するのは非常に大切な役目であった。だから清正は、二条城の西方にある愛宕山に
大願を掛けたのだろう。そして、恙無く帰城に及んだ。故に心の中で、愛宕の方を拝したのであろう。」

後に清正の家臣であった中井氏の著述した爲人妙という書にも、愛宕の勝軍地蔵において、この時清正が当山の
大善院で護摩を執行し、秀頼の武運を祈ったと書かれている。

(慶元記)



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    西方十億万仏土

  2. 人間七七四年 | URL | -

    熊本城には秀頼を迎えるための秘密の居室があった。
    大阪が攻められて敗れた時、秀頼を迎えて西方で徹底抗戦してやるぞ
    という決意で西を見たのだ。
    家康のとんと見等ハズレな話だな。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    秀頼「ごめんね、ちょっと通り過ごしちゃったテヘペロ」
    幸村「まぁ肥後も薩摩も似たようなものだから良いんじゃないスか?(適当)」

  4. 人間七七四年 | URL | -

    昭君之間はネタでしかないと思うんだがなぁ

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    多分※2はネタで書いたと思うよ?
    招君の間=秀頼の為説って地元の観光系の人の説明が多いもの

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