淡路国をしてやったり
慶長15年2月、池田輝政は駿府で家康に謁し、淡路国六万六千石を加増された。
これは三男の忠雄殿(このとき9歳)が賜ったところである。
この時に浅野幸長も登城していたので、世上の風聞では
「今日、池田浅野両家のうちどちらかに淡路を賜うだろう」
と言われていたので、両家の伴人は皆耳をそばだてて待っていた。
輝政が玄関から出てこられ、お供の士の安藤牟三郎をお呼びになり
「お前はどこそこに行って『今日御前において淡路を我にお預けになった』
と言ってくれ」
と仰せられたので安藤は承り走り出たので、呼び返しになられて
「お預かりと申せ、拝領とは申すな」
と命じられたが、其の頃の天下諸士は闊達であるのが流行っていたので
安藤が下馬の橋を走り出たのを、傍輩が立ちふさがって
「安藤いかにいかに」
と言葉をかけると、牟三郎は扇を開いて頭より上に高くあげ大音声で
「淡路国をしてやったり、してやったり」
と叫ぶと、池田の士が不覚にも一度にあっと声を出したので
下馬中の一同はどよめき声は静まらなかった。
――『池田家履歴略記』
コメント
人間七七四年 | URL | -
石高もさることながら瀬戸内交通の重要結節点、しかも大坂に蓋をする位置
6.6万石も飛び上がるほど嬉しいが、経済・政治・軍事的にもメリット巨大だよな
( 2016年12月28日 07:54 )
人間七七四年 | URL | -
折角主が配慮を示したのに、その家臣は嬉しさの余りに騒いじゃった訳か
( 2016年12月28日 11:32 )
人間七七四年 | URL | -
匿名希望市松「あいつは股間の槍で領地広げやがって」
輝政「そう言われると思ったので、黙っとれと言ったのに」(´・ω・`)
( 2016年12月29日 13:02 )
人間七七四年 | URL | -
「あいつの股間の槍はどんだけ凄いんだ」と別方向に男を上げるかもしれない
( 2016年12月29日 17:54 )
人間七七四年 | URL | -
大内義隆様が「股間の槍」に興味を持ったようです。
( 2016年12月31日 02:41 )
人間七七四年 | URL | -
大崎義隆様も「股間の槍」に興味を持ったようです
( 2016年12月31日 09:35 )
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