知恩院の霊厳和尚和歌、公卿色を正ふする事

2017年01月04日 21:04

488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/03(火) 18:03:03.71 ID:1MDJADtY
知恩院の霊厳和尚和歌、公卿色を正ふする事

昔知恩院にいた霊厳大和尚は高徳の聞こえがあって、人は皆崇尊していた。
ある日禁中で公卿が寄せ合いながら和尚へ和歌を乞おうと、
短冊を二つとり出して歌を求めた。
和尚は辞する様子もなく、にわかに筆を染めて、

南無阿弥陀南無阿弥陀仏南無阿弥陀
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

名号の六字の外をしらぬ身は
南無阿弥陀仏を歌によむなり

公卿は皆色を正しくしたという。

『浄土伝燈譜』には

「霊厳、檀蓮社雄誉は、松風と号す。
総州天羽郡佐貫の人〔一説に駿州府中の人、姓は今川氏〕である。
慶長十年に生実大厳寺に住む。一旦武命に逆らうことが有って、
房州に流罪となりそこに住んだ。
道風(修行でえた、人を導く教化のはたらき)が四方に靡いて
徳光は大いに輝いた。
武府は遥かにこれを聞いて、即召して東照神君に謁した。
敬信が他と異なり、遂に道本山霊厳寺を開いた。
後に公命により知恩院に住んだ〔第三十二世〕。
寛永十八年九月に寂した。」

(甲子夜話続編)



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    公卿の嫌がらせに対する坊さんの粋な返しって感じか

  2. 人間七七四年 | URL | 3aXRcdxk

    嫌がらせって訳でもないでしょ
    応仁の乱辺りの奈良では公家が疎開してきて坊主と一緒に歌会やら色々開いてたらしいし
    まあ興福寺の偉いさんはみんな公家出身だが

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