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佐竹義重の書状と浜野正杞・いい話

2008年10月16日 10:53

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/08/16(土) 00:44:08 ID:JuFABJ3e
佐竹義重の配下に、浜野正杞と言う侍がいた。彼は天正12年(1583年)の沼尻の合戦で武功を上げ、
義重は政杞に、直々に戦功をたたえた書状を与えた。

時は過ぎて関ヶ原合戦のあと、佐竹家は出羽に国替えとなった。この頃政杞は既に老齢で、
「もうお供も出来ません」と、佐竹義宣から暇を取り、下総で帰農した。やがてこの地で死ぬが、
その時
「何かの役に立つ事もあるだろう」
と、義重だけは後に残した。しかし、彼には娘一人しかおらず、この娘は結局嫁に入り、
浜野の家名は断絶した。

その下総に、新たに水野忠光が領主として入ってきた。彼は、どこかからかこの義重の書状の話しを知り、
「鬼義重と呼ばれたほどの武将の筆、是非拝見したい」と、自ら娘の嫁ぎ先にまで出向き書状を見た。
これによりその書状は有名になり、佐竹義宣まで父親の文章を見るために、参勤交代の折わざわざ立ち寄った。

そうして、沼尻の合戦からおよそ100年後、元禄11年(1698年)の佐竹藩の家臣名簿に、浜野久兵衛という名前が現れる。
浜野家は、佐竹藩において再興されたのだ。

侍の命がけの武功とは、子々孫々にまで影響を与えるものだ、と言うお話。




683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/08/16(土) 05:51:20 ID:MbkgHhMr
( ;∀;)イイハナシダナー

684 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/08/16(土) 07:01:51 ID:ynOi68BW
(;∀;)いいスレだなぁ

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/08/16(土) 14:33:18 ID:ht+w5s3g
久兵衛は娘の子?

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/08/16(土) 16:31:41 ID:JuFABJ3e
>>685
娘の子の血筋
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