佐州は未だ御愁傷のうちに

2017年02月01日 09:17

560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/01(水) 05:19:40.08 ID:ZRWtXzEx
本多佐渡守(正信)は、息女<三浦監物(重成)内室>が死去して、悲嘆の最中から
評定場へ出て、御用を心得なさったため、

「佐州は未だ御愁傷のうちに御出になられるのですか?」と、挨拶致された方がいた。

佐渡守はこれに、「どうして娘が1人死去致し申したからといって、御用を欠くべきこと
でしょうか」と、申されたという。

大久保相模守(忠隣)は息男・加賀守(忠常)が死去した時、強く悲嘆し、それからは
御奉公も勤め得ないように、思いなさったという。佐渡守と気持ちが異なっている。

――『武功雑記』



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    佐渡さんに娘なんて居たの?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    直家「悲しみを胸に秘めて務めを果たす、か
    よくわかりますぞ、佐渡殿」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    子供に差が無いのは置いといて流石に期待の跡継ぎ、しかも周囲も高評価の将軍の現役老中が亡くなるのを同列にするのは
    派閥争いとしても次世代の中核扱いなんだからやる気無くすのもやむを得ないだろう

  4. 人間七七四年 | URL | -

    正純「父上には私がついておりますからな!(ドヤッ)」
    秀忠「…(ムカッ)」

  5. 人間七七四年 | URL | -

    wiki見ても佐渡さんに娘も無かったし、三浦監物の嫁も違う人だったんだけど?

  6. 人間七七四年 | URL | -

    良かった、早死にした佐渡守の娘は存在しなかったんですね。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    大日本史料の元和2年6月7日の条にある、本光国師日記の引用だと、慶長18年7月4日に正信の息女で三浦堅物室が亡くなった話が載っています。

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