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真田信之と杉の葉、また九度山配流の事について・いい話

2009年01月24日 00:13

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/23(金) 02:20:53 ID:Ipw2FxlP
真田信幸が、名を『信之』と改めたばかりのころ。

ある日、信之は何人かの家臣とともに、船で川を下っていた。向こう岸の山肌に、
杉が青々と茂っているのが見えた。

信之は従う者のうち、まだ年若い者に質問した。
「お前たちの中で、杉の葉を食べたことがある者は、おるか?」

もちろん、誰もそんな物を食べた経験などなかった。
「 ・・・それは、今が泰平であるおかげだ。」 信之は、ポツリと語った。

「オレは、ある。 その昔、勝頼公が滅んだ際、人質だったオレは、甲斐から沼田へ脱出した。
織田軍の追っ手におびえ、道を急いだオレたちは食料の調達もままならなかった。
ひもじさの余り、杉の葉を取ったのさ。 ・・・ハハっ、とても食えたものじゃなかったがね。

その後も、ヒエ粥を食ったりして何とかしのいだよ。 これがまた、マズい代物でなあ・・・
・・・なに、今だって苦いものをかみ締めているようなもんだから、変わらんよ。
だが、そうやって苦難を乗り越えてきたおかげで、お前たちを食わせる事が出来るのさ。

いいか、侍には杉の葉を食い、ヒエ粥をすすり、苦いものを呑んででも、生きねばならん時が
あるのだ。 良く覚えておけ。」




604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/23(金) 02:42:31 ID:DhapVyJ0
>>602
ホント苦労人だなこの人は…

九度山で貧乏なのに小作りに励む弟に行って聞かせて来い。

605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/23(金) 02:44:35 ID:fMIogjKR
>>602
その時にもう少し美味い物を食べていたら
長生きできたかもしれなかったんだろうな・・・

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/23(金) 02:46:37 ID:Bjn4t0le
惜しい人を・・・

607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/23(金) 02:54:05 ID:7adreVK2
お前らは信之が何歳まで生きたら納得すんだよw

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/23(金) 02:57:30 ID:EqcbRYAw
信之さんは本来なら130才生きられたはず(;ω;)

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/23(金) 02:58:58 ID:eCUjJzuP
この流れよく見る気がするなw

まだ若いのに九度山配流され、親父と自分は監視付きで町にも出られない
慰めといえば山に入って釣りでもするか側にいる奥さんといちゃつくか・・・
そんな生活だもの。子作りに励んでしまうのも諾なるかな

・・・と、たまには信繁の弁護してみる。弁護になってない気もするが気にするな

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/23(金) 03:15:14 ID:hdZiBtPX
>>609
範囲指定だが屋敷外への出入りが自由なだけでも通常の‘蟄居謹慎’より監視は緩かった>九度山
まあ、大阪の役で豊臣に付いた息子に連座して切腹した増田長盛をみても真田家に対する寛大さは異常
上田からの転封以前は豊臣政権成立以前からの領土を維持して居座る数少ない大名だし(その他は減封された島津、毛利、伊達くらい)


616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/23(金) 03:26:19 ID:aP3JCsdr
普通の謹慎は窓も扉も開けちゃダメ真っ暗な中髭もそっちゃダメ
月代も綺麗にしちゃダメの自主牢屋暮らしみたいなのなんだっけ?


617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/23(金) 03:42:23 ID:eCUjJzuP
ん・・・いや、緩かろうが何だろうが押し込められていることに変わりは無いと思うんだけどな。てか何にツッコミ入れられてるのかイマイチわからん
そういや配流先で子を作るって行為自体はそれほど珍しい事でもないのでないかと思うんだが、どうなんだろ?
ついでに真田父子って「配流」?「蟄居」?

>>616
それって江戸中期の「公事方御定書」の後の話じゃなかったか?

622 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/23(金) 04:22:10 ID:hdZiBtPX
>>617
当初の配流先が高野山だった事からも単なる流罪ではなく謹慎の意味合いが強い事が伺われる
まずこの高野山配流自体が信繁の妻子随行によって九度山に変更
元から一族流罪ならば女人禁制の高野山ではなく遠島になる
信繁の妻子を巡って徳川方が処罰内容を二転三転している事が伺い知れると思う
また、九度山には16人の家臣が徳川方の許可を得て付き従っている
昌幸、信繁を単なる罪人としてではなく武将として徳川方が一応の礼節を示している証
さらに九度山での昌幸、信繁の住居は‘真田屋敷’と呼ばれた独立した新設の建物であり既存の寺社で暮らしてはいない
‘真田屋敷’の建築費用は丸々信之持ちだったらしいが…
泳いで参った人と比べても優遇されてると感じるんだがなぁ

619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/23(金) 04:07:30 ID:XGUj6OXB
みんな信繁の子づくりが貧乏の元みたいにいうがな、昌幸が大名暮らしをすてられず
どーしても無駄遣いしてしまうから信繁が困ってた、ってな話もあるんだとフォローしておく。
昌幸が死んだ後、たくさんいた使用人もリストラしまくったとかなんとか。

まぁ一番苦労してたのは信之に違いないが。
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