人々は康政に

2017年02月10日 14:10

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/09(木) 19:29:50.26 ID:s+N83Bmb
榊原康政は尾州小牧山の陣の折、秀吉の不義を誹謗し、所々に札を立て、

『秀吉は織田家取り立ての臣であるのに、その主君の公達に敵し、神戸三七信孝を滅ぼし、
今度は北畠殿(信雄)に敵した。八逆罪の者である。これに与する者には、どうして天罰を
被らないことがあるだろうか。』

そう書いて人々に見せた。
これに秀吉は激怒し、
「榊原小平太を生け捕りしてきた者は、卑賤凡下を問わず、千戸候を以てこれを称する!」
そう諸将に触れた。

その後、秀吉が関白に任官し京都に滞在していた頃、織田信雄を通じて、徳川家康
秀吉は和睦をした。秀吉は妹を送って縁を結ぶとの事に成り、その事相調い三河より結納を
遣わすことに成ったが、このとき秀吉は、「その使者として榊原小平太を遣わすように」と
所望した。家康がこれを康政に伝えると、彼は畏まり、早速上京した。

康政が京に到着したその夜、秀吉が突然、康政の旅宿へ現れた。
「今回の使節に汝を名指しして呼んだのは、他でもない、先年小牧山対陣の時、この秀吉を誹謗して
高札をたてた憎さよ!汝が首となった姿をひと目実たいとずっと思っていた。

しかし今、徳川家と縁を結ぶに至り、あらためて其方の忠誠を一入感じ入った。まことに汝には
武臣としての実義がある。
私はこの事だけを言いたくて汝を呼び寄せた。但し、だ。我が妹を遣わす結納持参の使者が、
無官というのはいかがであろうか?」

そう言うと即座に奏達し、康政は従五位下式部大輔に叙任された。総じて徳川家の諸将の官名は、
この頃まではその殆どが僭称であった。しかし榊原はこの時初めて、式部大輔の位、口宣等を
受領したのである。

その後、秀吉よりの饗応も善美を尽くしたものであり、そこには相伴として、先に三河を出奔し、
十二万石の大名となっていた石川伯耆守数正が、あえて馳走に出されていた。
しかし康政は終始、数正と一言も口をきかなかった。
その後、秀吉に御暇申し上げ、三河へと帰った。
人々は康政に、節操を感じた。

(武野燭談)



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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    台本書いたの誰?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    当たり前だわなw

  3. 人間七七四年 | URL | -

    暗に「お前もウチに来いよ」という事なんだろうけど
    数正呼ぶとかエグッ!

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ヒデヨシの 「いしゅがえし」のこうげき!
    こうかは ばつぐんだ!

    …すまん、何となく思い付いた。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    結果的にスカウトは断ってるので「こうかは いまひとつのようだ」としておいてあげて
    多分「いしゅがえし」は悪タイプの技なので脳筋もとい格闘タイプの康政には通りが悪いのでは

  6. ※4 | URL | -

    ※5
    ポケ○ンは最初期しか知らない上に(悪タイプってなに…?)、ネタと言うかふとした思い付きで書いただけなので細かいところがおかしいのは赦してやってつかぁさい…(困惑)

  7. 人間七七四年 | URL | -

    数正が調理されて膳に並んだのかと思った

  8. 人間七七四年 | URL | -

    輪切りのソルベだった!!

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