宇喜多秀家流罪に及びしこと

2017年02月17日 21:21

605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/17(金) 00:53:42.57 ID:29qev1l+
宇喜多秀家流罪に及びしこと

 ある人が曰く、
宇喜多秀家は関ヶ原では毛利上杉佐竹と同じである。
他は皆今の領土となったが、
秀家ただ一人が遠流に処されたのは神祖に憎まれることがあったためだとか。
 秀家は法華宗を信仰していて、その時領していた備前備中備後から諸宗を追い立てて悉く日蓮宗の寺とした。
もちろん浄土宗の寺院も押し退けられており、そのため
浄土宗である神祖から憎み怒られていた。
関ヶ原後に、もはや極刑にもなるべきところを島津氏の御歎きから流罪となったという。
 またかの国の諸寺でもその事実を裏付けることを聞いたが、
皆忘れてしまったので、ここではそれを書くことができない。

(甲子夜話三篇)

なぜ島津が、それも家康に意見を言う立場で出てくるのか?



606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/17(金) 00:57:21.76 ID:7heINWbt
島津が宇喜多を匿っていて
家康に許された時にそれを申し出たから
島津の顔を立てるためでしょ
スポンサーサイト


コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    前田さんも忘れないでやってくれってばよ…

    割と真面目に、島津さん家と前田さん家には感謝しているんですよ、ええ本当に
    うちの殿様とその血脈を助けてくれて、本当にありがとうございました

  2. 人間七七四年 | URL | -

    市松「お酒......。」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    秀家の嫁さんもキリスト教を棄教してまで前田家から仕送りをしてたんだよな。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    不思議なんだが秀家はなんで自決しなかったんだろう?
    仮にも西軍副将の立場、薩摩まで逃亡して再起を図ろうとしたのか?
    結局島へ流刑、武士として幸せだったのかね?

  5. 人間七七四年 | URL | -

    >>4殿
    武士として幸せだったのかは解らないけど、
    背負うものが何も無くなってみたら、
    逃亡生活とはいえど、
    産まれて初めて、自分の為だけの人生が
    ひょっこり手に入って嬉しかったのかも。
    まぁ、本人にしか解らないけどね。

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/10583-560e4c7d
この記事へのトラックバック