不服秀吉異見条、間柄不快。

2017年02月22日 21:31

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/22(水) 04:00:20.62 ID:LKwAbEd0
この年(天正2年)、近江国鎌刃の城主・堀次郎(秀村)と、同じく樋口(堀氏家臣)
が御改易となる。

その詳細は、木下筑前守秀吉と協力していたが、小谷落城以前の秀吉は5万石、
堀次郎は10万石の領主だったので、秀吉の意見に服さず、関係が悪かった。

近年、浅井へ内通した旨が秀吉より言上されたので、このような事になった。

(其子細木下筑前守秀吉同心たりしが、小谷落去以前は、秀吉は五万石、
堀二郎は十万石の領主たるに依て、不服秀吉異見条、間柄不快。近年浅井へ
内通仕候由、秀吉依言上如此)

――『当代記』



609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/22(水) 09:46:36.86 ID:3POQtBKt
手取川の戦い(小声
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | 3aXRcdxk

    改易されたのって浅井が滅びた後じゃなかったっけ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    秀吉は播磨の時も別所・淡河とかとモメて三木合戦の原因を作ったりしてるし国侍の掌握は下手だったんじゃないかと思う

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    国侍に限らず同僚ともなかなかどうして
    勝家と喧嘩して腹立ち紛れに無断帰宅したりするし
    村重の播磨調略を横取りして謀反フラグ立てたりするし

    でも結局起用されるんだよな、強いから

  4. 人間七七四年 | URL | -

    信長時代の秀吉軍団の強さは蜂須賀・竹半・黒官・前野・神子田・尾藤・宮田とかのおかげ
    だから信長は秀吉を切れなかった

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    言っては何ですが、もっと他にも沢山支えた人が居たでしょうに何でその面子だけw

  6. 人間七七四年 | URL | -

    たしか一向一揆と勝手に和睦したことで処罰されたんじゃなかったっけ?
    まあ当代記だしこういう記述にしたのかもしれんが。

    松永の謀反の理由は筒井の与力扱いされたこととされているし、
    別所や荒木は秀吉の与力にされたこと、波多野は明智の与力にされたことだったような?
    他にも朝倉滅亡後の越前動乱も似たような問題。
    織田家の謀反の理由の何割かはこういう人事の躓きが原因だったりする。

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