羽織についての事

2017年02月26日 11:23

612 名前:1/2[sage] 投稿日:2017/02/25(土) 22:54:33.58 ID:ORS48Def
山名禅高があるとき、所々破れたいかにも古い、黒き羽織を着て御所に出たのを、大御所徳川家康が見て
「禅高、その羽織は?」と尋ねられた。禅高は袖をかき合わせて
「これは満松院殿(足利)義晴公より拝領したものです。」と申し上げた。
家康はこれを聞くと
「流石は山名殿である。返す返すも殊勝なり。」
そう御感賞された。

これは岩淵夜話に有る話であるが、有る人が言うには、羽織はことさら近年のものである。
初めは中元以上の者達が、ばさら事の伊達に、稀に着たものであったという。
それがこの頃に至っては、上下ともに礼服のように揃って着るように成り、公の場においての
時服拝領などでも、羽織が添えられるようになったが、それはここ百年ほどの事であるそうだ。

613 名前:2/2[sage] 投稿日:2017/02/25(土) 22:54:53.32 ID:ORS48Def
私の記憶では、七十余年以前の私が幼かった頃までは、武家において子供に羽織を着せることはなかった。
ただし町家などでは振り袖の羽織を着せていて、私もこれを羨ましく思い、親にせがんだ所
「士の子は袴だけでよろしい」と、古風であった私の父母は、どちらもこれを許さなかった。

その当時の老人たちはこう言っていた
「我らの若き時分までは、羽織を持っている人は稀でれあったし、普段から着ている人もおらず、
花見遊山と言った時に着ていただけであった。今のように成ったのは常憲院殿(徳川綱吉)の御代よりの
風俗である。」

このように見ていけば、羽織という物が世に現れたのは全く近年のことと見えるが、またこの逸話の内容が
真実であると見た場合、二百余年以前より羽織という服は存在したが、民間には広まっていなかった、
そう考えるべきであろうか。

(翁草)

言外にすげー言いたいことを感じる翁草の記事



614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/26(日) 00:15:40.67 ID:Lr6URigv
翁草の作者って割とこういう分析コメント好きだよな

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/26(日) 04:34:54.64 ID:5ya2q+nv
褌みたいなもんか

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/26(日) 08:11:04.60 ID:yHclo49x
庶民なんか普段は褌してなかったりするからな
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    禅高「ボロい羽織こそ我が“侘び”よ、ゲヒヒヒ」
    家康「その羽織は?(ニヤリ)」
    禅高「(む…まずい、無礼だなんだと咎められては迷惑)」
    禅高「これは満松院殿より拝領したものです」
    家康「(チッ…巧く返しよって)殊勝なり」

    ということかしら。
    そうなると翁草は野暮だなぁ。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    「昭和が舞台なのに登場人物が普通にスマホ使ってる」みたいな感覚じゃないかな

  3. 人間七七四年 | URL | -

    山名禅高:天文17年(1548年)誕生
    足利義晴:天文19年(1550年)死去

    ベビー用羽織?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    親がもらったものを受け継いだと思えば何とか理屈はつきませんか?

  5. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    ※2
    ン三世のことかあ!!

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    俺はちびまる子ちゃんの事かと思った
    オイルショックのあった頃にはなかったものや、あったけど一般には普及してなかったものとか出てくるから

    …まぁ、サザエさん時空だから突っ込むのも野暮な気もするが

  7. 人間七七四年 | URL | -

    これって、禅高の父か祖父が義晴じゃなくて義殖からもらったって話じゃ無かったっけ?

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