松平家信「若輩とは十二、三歳の事」

2017年02月26日 11:24

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/26(日) 10:10:07.86 ID:78MbwluU
 家康公と秀吉の御合戦の時のことです。
秀吉方から天正十二年四月に三河へ攻め込もううとしていたので、
家康公は急いで小幡へ赴かれました。
この時松平紀伊守家忠もお供されていて、
彼の嫡子の七郎家信(後に紀伊守と号す)も、父に従って出陣したいと言った。
しかし、

「今、お前は若輩である。
三河が空くので、留守をよくせよ。」

と言ってお供は許さなかった。

「若輩とは十二、三歳の事です。
勇士の子が十六歳になっても軍役を勤めないのは古法に遅れています。
是非お供させてください。」

と願うが父は許さず留守に置きました。
 しかし家信は家来を二人を召し連れて後から出て家康公の御陣所へ行き、
本多弥八郎正信(後に佐渡守と号す)を頼って始終の事を言い上げました。
その話に正信は感じられてすぐに御前へ召し出されることなりました。

「武具を持っているか?」

と御尋ねがあると、

「ようやっと家来二人を召し連れまして体で、
その上父の家忠が深く制されましたので、
所領の形原を逃げ出しましたが武具は持っていません。」

と申し上げ、朱塗りの御鎧を下されたそうです。

 その後、既に先陣にいた大須賀康高の陣脇から家信が抜け駆けして名乗り、
秀次の物頭野呂孫太夫の大剛の兵に槍で突いて首を取り、
采配に添えて、家康公へ実検に入れました。
家康公はこの武勲に甚だ厚くて感じられ、家信は御感状をもらったそうです。


『武士としては』


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | /c2.ISBc

    親の心子知らず

  2. 人間七七四年 | URL | -

    元服や初陣は13だったり20超えだったり結構差があるよね
    ここら辺は家ごとの方針があるんだろうな

  3. 人間七七四年 | URL | -

    利家「いや12歳も若輩ではないのだ」

  4. 人間七七四年 | URL | B7aCswa6

    若武者らしいいい話だけど家忠は天正十二年には既に亡くなっているので辻褄が合わない
    家信は武田攻めでも武功があったので混同したのかな

    あと管理人様
    この家忠さん(形原松平家)は家忠日記の家忠さん(深溝松平家)とは別人です

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    年齢的にも武田攻めの頃じゃないかな?

  6. 人間七七四年 | URL | -

    長宗我部元親「20歳過ぎて初陣した私は、若輩者ではないのか。」
    毛利元就「そうやな」

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※6
    頼宣「あんたがたは衝撃デビューだったからいいじゃん!全然いいじゃん!」

  8. 人間七七四年 | URL | -

    義久、義弘、歳久「私たちも若輩者ではないな」

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