真田幸村の遺跡付秀頼

2017年03月07日 21:40

704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/03/07(火) 01:06:36.77 ID:XljhnUxf
真田幸村の遺跡付秀頼

 続編の五巻に、松代侯の物語を記した中に、幸村が薩摩にいたことを言った。
その後薩州の者との文通を見せてきた。

「熊本藩の斎藤孝寿(孝寿は、権之助と称す。細川侯の町奉行。犬追物に精通す。)が甲寅(1794年)に南の方薩摩へ遊行した。
官工の伊正良に刀剣を造らせるためであり、ここに三十日程いた。
かつて私は『豊公秀頼は大坂城を逃れて、西の方薩摩に逃れた。』というのを聞いた。
もしその事があるのなら、必ず墳墓や子孫があるはずだ。
この地で北や南、西から東へ行き広く尋ねたり相談したりして求めたが、
邦の人々は皆知らないと言う。

ところがある人が言った。
『遠く府の南三十里に谿山市という市が有る。
その西隣に一村落が有る。名を木下という。』
たぶんその所だ。私は一日ここへ遊びにいき、近くの諸村老に『豊公の家の跡はあるか』と問うた。
その広さは一段ばかりで、中に二松有る。その大きさは両手で三回抱えるほどであった。
枝葉は霞の中に生い茂り、花の香りは遠近にたちこめている。
ここがまさしく豊公の居た所だ。
その距離東に百歩ばかりに一小堂があり、仏が安置されている。
その側に多くの墳墓がある。そのなかで抜きん出て偉大なものが豊公の墳であろう。
その後ろに墳が有り、すなわち臣僕の墓だという。銘が皆明らかではない。
その廃墟に家にしているものがおり、脇木下という。(本木下は本家で、脇木下は別家という。)
その北へ五・六十歩ぐらいのところの家に住んでいる者が本木下という。

私は秘かに聞いた。
元和の役で、豊臣公は秘かにその臣の真田幸村等と謀り、大坂城で死んだと偽って薩摩に逃げたのだと。
豊臣公は谿山に在り、真田君は頴娃に在ったという。
しかし世人はこれを知られるのを恐れ、よってその名を悔い改めて木下としたと。
これから後世の人は遂に邑の名を木下と言った。
公の人となりは甚だしく肥大で、身長は殆ど六尺。
公は常に都下に往来し、酔えば必ず道路に縦横した。
真田君のなりは役小角の遺風のようだった。これらから今に至っても諺で
谿山(タニヤマ)ノ酔人(エクロ)、頴娃(エノフ)ノ山伏と也云々
(エクロは薩摩の方言で酒酔人を言う。秀頼、薩摩で大酒であったことは前編四巻にも見える。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-9987.html
河村宗澹曰く今の番頭役谿山孫右衛門は秀頼の末葉だそうだ。但し、谿山の苗字は多くあるが統は右孫衛門だと話した。)」

 これに拠れば、幸村は大坂で戦死してはいない。大助もまた、第五巻松代侯の話を証拠とすべきだ。
これも生害ではない。また秀頼の容貌もここで知れる。またすでに前編六十一巻にもこのことを記した。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-10006.html
通観すべきだ。

(甲子夜話続編)



705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/03/07(火) 14:26:14.59 ID:vISgFD1K
>>704
>木下
改名がガバガバすぎて草
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    幸村と記述ある時点でとんでも説でしょ!
    あの包囲網を脱出出来るなら、最初から苦労なんてない

  2. 人間七七四年 | URL | -

    「幸村と書いてあるから偽物」との結論は短縮過ぎ
    江戸期に講壇で有名になった信繁は当時所か現代でさえも
    世間一般では「幸村」としての方が有名なわけだし、
    ついで言えば「信繁生きてたよーん」なんて書いた文章は
    徳川家から睨まれる危険性があるから避けるべきたろうし

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    松代藩は単に余りに講談で幸村が有名になっちゃったから追従しただけじゃない
    第一、何時まで夢見てるのよって気がするわ
    実際問題としてあの大坂城の状態から、無事に逃げおおせる事が出来るとは思えない

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    宇喜多秀家「せやな」

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    さほど短絡でも無いんじゃない?
    わざわざ幸村と言う諱が書かれてる時点でソースとして創作物を取り込んでるんだから怪しさ満載でしょ。

    当時マトモに書かれたものなら官途や受領で書かれてるのが普通だし。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ネタ元には「真田左衛門佐」としか書かれてないのに
    軍記作家が勝手に「幸村」という諱を振っちゃったとかすごいありそう
    そういう場合一概に俗説と切り捨てられないんだと思う
    軍記は信用できなくてもネタ元が一次史料の可能性があるから

    それはそれとしてこの話は胡散臭いが

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