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山科言継の略歴・いい話

2009年01月25日 00:12

668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 03:05:41 ID:/kZ5OgZf
戦国武将の話が続いている中で公家の話を


山科言継(やましな ときつぐ)

戦国時代の公家で山科言綱の子。
内蔵頭から正二位・権大納言に昇った人物。


”公家”という概念だけでは語ることの出来ない人物
それが、山科言継。


公家と聞くと内向的なイメージの人物が多い中で、
積極的に外交・交友をしていったのが言継だった。
また、多種多様な才能で生き抜いたマルチ人間でもあった。


1548年に室町幕府によって代々の家領であった山科荘が事実上横領されて
しまう。普通の公家だとここで泣き寝入りするが、言継は違っていた。

言継は自ら染めや仕立ての技術を習得しており妻や家人とともに装束製作に当たり、
天皇の服ばかりでなく諸家からの注文にも応えていた。また器用な言継は医術や調薬も修めていて、
しばしば人々の依頼を受けて診察したり、薬を調合して届けている。
収入が途絶えがちで苦しい公家の財政事情を言継は己の技能によって
山科家の収入を支えたのである。


669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 03:06:42 ID:/kZ5OgZf
668続き

また、言継は朝廷の財政の最高責任者である内蔵頭として後奈良・正親町両天皇下で逼迫した
財政の建て直しに奔走する。
当時の朝廷財政の収入の中で最大のものは諸大名からの献金であった。
言継はその献金獲得のために各地を訪ね歩いた。


言継の奔走記録として

1533年

歌舞音曲を扱う楽奉行として、尾張の織田信秀を訪問。
信秀や平手政秀以下の家臣団に和歌や蹴鞠の伝授を行って人脈を深め、
後に天皇の即位式に対する信秀からの献金獲得に成功。


1556年

義理の叔母にあたる寿桂尼・今川義元親子を訪ねて駿河を訪問し、
献金の確約を得た。


1566年

結城氏重臣の水谷正村に働きかけて御料所回復に成功し、
その謝礼に正村の従五位下伊勢守への任官を推挙している。


以上のように言継は持てる人脈をフル活用して朝廷への金策に奔走した。
弁舌に優れている他にも、大酒のみであったことや朝廷を守らんとする直向さに
多くの大名は好意を寄せたものと思われる。

670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 03:07:56 ID:/kZ5OgZf
668続き

また、あまり公家に好意的ではなかったと言われる織田信長も言継とは良好な
関係にあり言継も信長と朝廷との橋渡しに協力を惜しまなかった。


これだけだと言継の人脈は大名や公家・有力者のみに見られるかも知れないが、
言継の人脈は決して上の方ばかりではなかった。
その気さくな人柄で庶民とともに入浴する事もあり、優れた医療知識をもって
天皇や公家達のみならず、京の庶民に対しても治療をしていた。
しかも無理に治療費を取るようなことはしなかった為、言継は庶民から大変人気がある公家であった。


それ以外に言継は数々の著作物を現代へ残している。

『言継卿記』(ときつぐきょうき)なる日記。
大永7年(1527年)から天正4年(1576年)の50年に渡って書かれている。
(散逸部分もあるが)有職故実や芸能、戦国期の政治情勢などを知る上で貴重な史料となっている。

この日記内には山科言継と”剣聖”として名高い上泉信綱との交友記録が書かれている。
また医療に精通した言継が、自身で治療に携わった医療行為に関する詳細な記録も書かれており
現存する日本で最古のまとまった診療録(カルテ)であるとも言われている。

戦国の世でなく、現代であったならば山科言継はどれだけ社会に貢献しただろうか・・・
などと考えてしまうくらい才能溢れる人材だった。




671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 03:12:57 ID:KuwCqWmM
山科言継と言えば、戦国大名と酒の飲み比べをして、相手を酔い潰させて
言う事を聞かせると言う、暴飲戦術の大家。

672 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/24(土) 03:28:07 ID:y69lVpzS
謙信だったら大歓迎だろうな

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 03:41:46 ID:o4s6NbFs
黒田家は代理を立てればおk



674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 03:44:21 ID:p3OaSnRB
言継で金策といえば、
後奈良天皇の十三回忌をやりたいけど、例によって金が無いのが朝廷。
公家衆だけでなく天皇まで頭をひねるが良い案がない。
そこによぼよぼの言継さんが名乗りを上げる。
言継「徳川家康には貸し(徳川改姓に奔走した)があるから、ちょっと行って金貰ってくる ノシ」
天皇「え、あ・・・?よ、よろしいように」

天皇のお墨付きを貰った言継はふらふらと京を出て三河へ下る。
途中、旧知の信長に会っていこうと岐阜へふらふら。
言継「ぃょぅ!調子どう?」
信長「ちょwじじいww なんでこんなところにいんだよwww
    金が無い?それにしたってあんたが行かなくたって・・・。
    だいたい家康はいま、駿河にいるしなあ・・・。その歳で長旅は・・・。
    よし、俺に任せろ。じいさんは岐阜でのんびりしてろ」
と、代わりに家康を脅はk、もとい交渉を始め、
信長「じいさん、ほら、これは家康から。それとこれは俺からも。あんま無茶すんなよ」

おかげで法会も無事済み、山科言継の面目も大いにたった。
しかし信長をしてそこまで親切にさせるだけの何かを持つ、とある公家の話。



675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 04:05:58 ID:cURY9O9K
>>674
信長さん、いい人だな
自分の職務を全うしてる人にはえらく優しいね

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 04:48:51 ID:Kt14Kj+g
>>668-670
何かそれだけで1本の大河ドラマ出来そうな気がするなw
もしかしてもうあったりする?

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 05:44:32 ID:o4s6NbFs
マイナー武将の基準を大きく間違っているNHKが取り上げるわけがないかと
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    大河ドラマは無理でも、是非何らかの形でドラマ化して頂きたい人物だなぁ

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