軍令違反者には御宥恕がなかった

2017年04月13日 11:20

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/12(水) 22:50:47.55 ID:7Xqwitvs
大須賀五郞左衛門康高の甥の弥吉が御軍令にそむき、(高天神城の)勝頼の旗本へ討ち行って高名をなしたところ
(家康は)もってのほかお怒りになった。
弥吉は恐れて本多平八郞忠勝の家に逃げて赦免をお願いしたが、お許しなくついに切腹をおおせつけられた。
(家康は)何事も寛容な方であったが、軍令違反者にはこのように御宥恕がなかった。

「柏崎物語」



733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/12(水) 23:51:14.81 ID:Wv5bFBU9
これで武田の軍門に降る道が断たれたわけですな
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    仮にも三河者の大須賀一門が、「殿の為に武功を立てたのに」と逆ギレするでもなく、
    他人の家に逃げ込んで赦免を願い出るなんて・・・

  2. 人間七七四年 | URL | -

    つーか、逃げる時はとりあえず本田忠勝んトコロに逃げ込む風潮はなんとかならんのか?

  3. 人間七七四年 | URL | -

    権現さまに物が言えて、しかも下を庇う立ち位置だったんだろうな。
    上に物言える武士はたくさんいる家風だからね
    ただ彦左なんかは下にも容赦ない

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    直政「うちに来ればいいのにね」
    木俣「殿、刃物を研ぎながらいうと些か迫力が」

  5. 人間七七四年 | URL | -

    家康が寛容とかなんのギャグだよw
    高天神山では降伏を許さず皆殺しにしてるのに。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    戦で殺したからって狭量呼ばわりとは…

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