岐阜城攻めのくじ取り

2017年04月14日 16:35

810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/13(木) 17:11:05.49 ID:87GdGGbi
岐阜城攻めのくじ取り


岐阜城攻めのとき、(福島)正則と(池田)輝政とで大手搦手の争論があり
井伊直政、本多忠勝が輝政に異見を申したので収まったという様に
旧記等には見られるが、左様ではなかった。

なぜなら大身小身に係わらず敵地へ近いところの領主を
先手と致すのが日本の古来からの武家の定法であるので
尾州清須の城主である正則を一の先手、それに続いて
三州吉田の城主である輝政を二の先手ということにしたのだ。

格別なことなので両人には小山の御陣所で、内府公が
直に仰せ渡したので両人の争論などはなかったのだが
その他の大身小身共には大手七曲り口に向かうことを好み
搦手の寄せ手を嫌うものがいた。

大手、搦手と犬山城の押さえは必要だというのは各々の相談で
決まったのだが、人数割りをどうするかは埒が明かなかったので
井伊本多両人の衆は御列座の衆を二つに分けてくじ取りをさせ
誰は大手、誰は搦手、誰々は犬山の押さえと決めたので
人数割りが差し障りなく済んだという。

この説は旧記とは違うのだが大猷院様(徳川家光)の御代に旗本へ
召し出された大道寺内蔵助[若い時は遠山長右衛門と名乗っていた]は
岐阜城攻めの時は福島正則方にいて大手口で働きなどしていて
老後になってこのくじ取りの物語をしたので書留めた。


――『落穂集』



811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/13(木) 17:22:29.50 ID:6dYoS0ds
苦労してるな
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    三州岡崎の城主である吉政「解せぬ」

  2. 人間七七四年 | URL | -

    兵部殿は、柳川の掘割の整備、筑後の街道整備、矢部川護岸整備、有明海沿岸の堤防の整備等々、
    わが郷土にとって恩人ともいうべきお人です

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    なお知名度

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