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これ故に先立って戦死を遂げる

2017年04月15日 18:56

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/14(金) 21:38:46.57 ID:6vo126Lp
木村常陸介(重茲)の家臣に、岡田藤十郎という者があった。

16歳の時、秀吉の小田原役における八王子城攻めにおいて、頸取源八という者が頸を引き下げて
出てきて、「一番首なり!」と高らかに宣言した。
ここに岡田が来て
「源八ははや頸を得たのか。さては面白くもないことだが。」
そう言いながら城の方へ行き、そこで朱具足の者と突き合い、難なく突き倒して頸を取ろうとした、
が、考えを変えそのまま先に行き、また他の敵と突き合ってその頸を得て帰った。

「初めの頸を何故棄てたのか?」そう問われると岡田は
「兜の下を見ると法師武者であった。だから棄てたのだ。」と言った。(高齢の武者だったから、
という意味であろう。)
常識はずれの勇士である。

この岡田藤十郎、朝鮮征伐の年、18歳にて高麗に渡り、優れた働き多かった。
しかし木村常陸介の定めた軍法を破って先に出ること度重なったため、常陸介は大いに怒り
「重ねて左様なことあらば、具足を剥いで陣を払え!」と言い付けた。

岡田はこの事を本意無く思い、その翌日、白き羽織をこしらえ、墨にて紋を書き出し、
唐人の陣の方へ一番に進んだ。

この節、長谷川藤五郎(秀一)などが、敵陣への大物見に出ていたのだが、その先の松の木の
ある所に白羽織の者が見えた。敵か味方かと観察したが解らない。しかし日本軍の方に向くこと無く
敵方へ一文字に進む。

この松のある所は、敵陣に近すぎてなかなか近寄ることも出来ない場所であったが、彼は松の木の
脇まで行き、そこで敵の猛攻撃を請けて速やかに討ち死にした。

「あれは何者か?」
長谷川が尋ねると、「木村常陸介内、岡田藤十郎である」と解った。
彼の死を惜しまない者は居なかった。

岡田は書き置きをしていた。しかし前夜はその素振りも見せず、朋輩たちと語り合い、そして翌日討ち死にした。
その書き置きにはこう書かれていた

『常陸介殿は、具足を剥いで陣を払えと言われた。人の国に参り、この陣を払われては、
私は一体どこで戦場を務められるだろうか。これ故に先立って戦死を遂げる。』

そう残した筆のすさみに、人々は惜しみあった。
この藤十郎、16,7の頃より勇士の兆し現れ、只人ではないと世間で言われていた。

(士談)


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    これ軍法破りを注意されて不貞腐れての当て付けやん

  2. 人間七七四年 | URL | -

    匹夫の勇

  3. 人間七七四年 | URL | -

    文中にある、「法師武者=高齢の武者」の説明って、
    要するにハゲていたのを法師に見立てて呼んだってことか。

  4.   | URL | mQop/nM.

    ちゃんと若手の手綱を握るような中堅家臣がいなかったのかね。
    もう10年もすればいい武者になってたかもしれないのに。

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