岐阜城攻めと城受け取りの時の争論

2017年04月15日 18:59

815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/15(土) 15:19:54.21 ID:84ycGhCm
岐阜城攻めと城受け取りの時の争論


岐阜城攻めの日にあたり、大手の主将(福島)左衛門大夫正則を初め
細川越中守忠興、加藤左馬助嘉明、生駒讃岐守一正、寺沢志摩守広高
蜂須賀長門守至鎮、京極侍従高知、井伊兵部直政が萩原の渡りを越え
敵地の家屋に放火して太郎堤に陣した。

搦手の主将は池田輝政で浅野幸長、山内対馬守一豊、有馬豊氏
一柳監物直盛などは河田川岸を臨む所にいたのだが
岐阜城からは百々越前守(綱家)が三千ばかりの人数で新加納に出張して
川端へ備えを出して持ちこたえようとしてきた。

一柳直盛は(尾張国)黒田城主なので、川口の渡り瀬を心得ており一番に
川へ乗り入れ、その配下が瀬を渡っていくのを見てから、輝政は先手に
伊木清兵衛を初め家中一同を上の瀬に渡らせた。
したがって浅野、堀尾などその他の軍勢も各々川を渡り向こう岸へ馳せ上る。

(岐阜方の)兵が弓鉄炮を持って防ぐのだが、大軍が一度に押しかければ
悉く崩れてしまい引き返していった。
また飯沼小勘平(長資)を池田備中守長吉(輝政弟)自身がこれを討ち取った。
城方の主力は新加納に控えて防戦しようとしたが叶わず城中へ引いた。
搦手へ向かう途中新加納での競り合いでは敵の首級を七百余り討ち取り
そのことを輝政が江戸と太郎堤(大手側)にも知らせた。

すると正則は大手の諸将達に向かって
「各々はどう思われるか、搦手へ向かった面々は新加納で首尾よく
 逢えたそうだが、こちらは敵勢が出てこなかったので逢えなかった。
 ただそれだけのことではあるが、明朝の城攻めのとき千万に一つも
 搦手の面々に先を越されてはどうにもならないのだから
 今夜中に岐阜の城下まで人数を押し詰めるのがよいと思う」
と申されたので、みなこれに同意して急ぎ支度を調えて、酉の下刻から
戌の上刻までに繰り出して、岐阜の町はずれ近くまで押し詰めた。

夜が明けるのを待って段々と攻め上っていくところに、搦手も主将輝政を
初めとして着陣し攻め上ってきた。
そこに正則は大手方の諸勢を押し上げるため、大橋茂右衛門、吉村又右衛門に
申し付けてそのまま左右にある家に火をつけて焼いてしまった。
それで煙が山下へと吹きかかるので、池田を初め搦手の軍勢はここから
攻めることが出来なくなったので、輝政は大いに怒って軍勢を引き返させ
長良川のあたりにまわって水の手より攻め上った。

大手口では木造百々津田などが突いて出て坂中で防戦するので
寄せ手は大軍だったが直ちに攻めることはできなかった。
搦手からは城兵が出てこなかったので瑞龍寺の砦まで進んだ。
この砦には石田方から加勢として樫原彦右衛門、川瀬左馬助を主将として
二千人余りで守っていたが、浅野左京太夫幸長の家中の者共が一番に
攻めかけたのを見て、搦手の軍勢は一同に攻め寄せ急に乗り入った。
城兵がこれを防ぎかねている所、さらに大手勢が次々に攻め入ったので程なく
出丸は落ちて、樫原彦右衛門を浅野幸長の家人の岸九兵衛尉が討ち取った。
川瀬左馬助は二の丸に行った後本丸にこもったという。

(中略)

さて大手搦手の軍勢が悉く攻め上り、城兵が余りにも多く
討ち取られてしまったので敵は二三の曲輪を捨て本丸へとこもったが
池田家の旗奉行は武功の者だったので城内へ手早く旗を入れた。
したがって岐阜城は輝政が一番乗りしたように見えた。

816 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/15(土) 15:20:30.78 ID:84ycGhCm
(織田)秀信の家老の木造左衛門が正則方に降参し、主人の秀信の助命があれば
本丸を明け渡すことを伝えると、正則は差し支えないと返答した。
家人の可児才蔵に使番の侍共を添えて味方に矢留めのことを触れ回らせた。

その後寄せ手の諸将が集まったとき、秀信を助命するのはどうかという話になり
左衛門太夫が
「秀信は自身の不了簡で内府(家康)へ敵対されたが、信長公の嫡孫であることは
 間違いなく、味方の中には信長の厚恩に預かった筋目の方もいるので
 この正則の計らいをよもや悪くは思わないだろう。我は織田を贔屓する
 筋目ではないが助命を承り、左様に心得て返答に及んだことなので
 今更変えようとは思わない。秀信の助命のことが内府卿の心に
 叶わなかったら、我の今度の骨折りを無にしてもらうまでのことだ」
と申されたので、その後あれこれと申す人はいなかった。
秀信は正則の世話で芋洗という所に逗留された後
関ヶ原御合戦後は紀州高野に登山して程なく病死したという。

秀信が出城した後、城受け取りのことについて正則と輝政とで争論があった。
正則は城主秀信から助命があれば城を明け渡すと申してきたので、願いの通り
助命するから城を空けるようにと返答した上は我らが受け取るほかないという。
輝政はそのことはもっともだが、我らの旗を一番に城内に入れたのは間違いなく
弓矢の古法に照らして、城を我らが受け取れないことがあるだろうかという。
大手搦手の諸将はみな並んでおられたが、面々には関係のないことである上
難しき争論の話なので、みな口を閉じ仲裁する人もいなかった。

井伊直政と本多忠勝が二人の間へと入られ、正則に向かって
「先程よりここで聞いていましたが、御双方ともに根拠があることですから
 御両人の御家来を立ち会わせて受け取るのはどうでしょうか」
と申されたが、正則は
「それは普段、人がいる城などを受け渡しする時のことで
 攻め落とした敵の城を受け取るときは、左様にはしない」
と申されて埒が明かなかった。

そのとき本多中務(忠勝)は一柳監物の側に寄り、何事か小声で申した。
輝政は近い所にいたので監物に
「中務はそこもとに何を申されたのか」
と尋ねられたので、監物は
「『今度の逆徒追討で各々命を投げ打たれ
  内府へ合力して下さる以上は、少々の不足があっても
  内府の為によきようにしたいと思って下さるのだと考えていた』
 と申されました。もっともだと拙者なども思います」
輝政はそれを聞かれて
「本当に中務の申されることはもっともだ。内府の為に
 不足を取るべきなのはそれがしより他にはいないのだから
 正則が城を受け取るのがもっともだ」
と言われ事が済んだという。

そのとき正則は
「最初に両人の衆(井伊・本多)が申された通り、両家の立ち会いで
 受け取るので輝政の家人も出されるように」
と申されたが、輝政は
「我らの家来を出すには及ばない。時が過ぎてしまったので
 早々に城受け取りの片をつけた方がよい」
と申されたという。

岐阜城攻めのときの正則と輝政の争論と世に知られているのはこのことだと
一柳助之進(直良)が語ったのを聞いて書き留めた。
きっと親父の監物殿が雑談されたことがあったのではないかと思う。


――『落穂集』



817 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/15(土) 15:25:04.56 ID:WMM//8tO
岐阜城は見た目は堅城そうなのに
あっさり陥落し過ぎだよな
http://i.imgur.com/4PTFNsx.jpg
ぎふ

818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/15(土) 16:51:46.84 ID:2QxKWdjF
常真さんでも落とせる岐阜城

819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/15(土) 18:04:45.57 ID:RKT7CIGM
後詰めなけりゃ落ちるわ

820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/15(土) 18:51:08.08 ID:VwHS4dM6
岐阜城は水源が少なくて大勢で籠城するとあっという間に干上がる、と聞いたことがある。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    稲葉山城:堅牢・難攻不落!
    岐阜城:なあにこのお豆腐・・・

    どうしてこうなった、どうしてこうなった!!

  2. 人間七七四年 | URL | -

    稲葉山城も
    半兵衛に少人数で乗っ取られましたね

  3. 人間七七四年 | URL | -

    あれ内側からの謀反でしょ>半兵衛
    秀信は最初出戦に拘って兵力すり潰されたのも痛いな。
    水源ないから大軍篭れないと言っても、縄張り広いからそれなりの兵力ないと守れんでしょ。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    籠城側に常光院を入れればマイナス×マイナスで逆に難攻不落になるかも

  5. 人間七七四年 | URL | -

    城が硬いというより、城と平野と木曽川を組み込んだ防衛システムで硬いというイメージ。
    信長が義龍に勝てなかった頃って野戦ばかりだったしね。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    王平「むやみに高所に陣取ってはいけませんなぁ」

  7. 人間七七四年 | URL | -

    >>岐阜城の落城率
    あくまでも個人的な考えなのですが。前身の稲葉山城から数えて「有名なお城」になり過ぎたからでは?
    中心地的なお城である以上、多数の武将達が訪れて来たでしょうし、城下町を含めて城のあちこち見知っている
    お城だからこそ、落城させ易さもあったのかも?城主も複数人代わっていますし。
    しかも関が原時に攻めてくるのは織豊武将達。元城主の池田家まで居る状態。無理だと思うw

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※7
    どれだけ強いボスだとしても攻略法が割れてれば楽勝だものね
    魔法剣サンダガ二刀流みだれうち

  9. 人間七七四年 | URL | -

    岐阜城くらいの重要拠点ならしょっちゅう改修しそうなイメージあるけど

  10. 人間七七四年 | URL | JPG8Eu66

    というか斎藤龍興のときにしろ織田秀信のときにしろ岐阜城の防衛力云々を問題にする以前ところで状況的にすでに負け確の状況だからなあ…

  11. 人間七七四年 | URL | -

     美濃一国や濃尾の大名同士の合戦では難攻不落でも、天下分け目の大合戦で複数の大名が連合軍で攻めてくる事までは想定外ですしね。

     城塞の防衛(寺院の場合も含む)は初日が肝心で、初日の強襲を食い止められれば兵糧が尽きるか内応が出るまで長期の籠城戦が可能な場合が多い。

     関ケ原の時は、事前の戦闘で家中の過半が逃亡してしまいました。
     初日の防衛でも、木造や百々が奮戦して戦術的には結構な損害を敵に与えていますが、手勢が少なすぎて東軍の強襲を支えきれませんでした。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    初戦に戦力削られてる・回りとの連携不足・後詰も間に合わない。
    これで篭城だとか防御力だとか言っても無理でしょうね。
    ホント、戦いは数だよ兄貴・・・これに勝る格言はないわ!
    秀信も何で織田家の癖に豊臣家に義理立てしちゃうかな?

  13. 往時の岐阜城ってどんなだったのかな。
    鵜飼い船から岐阜城を見上げると、夜空にも黒々としてカッコいいけど。

  14. 人間七七四年 | URL | -

    ※12
    信長の嫡孫としては何としても父祖の地尾張が欲しかったとか
    そういうプライドとか欲が最後の一押しになったのかもねえと妄想

  15. 人間七七四年 | URL | -

    秀信が撃ってでず最初から籠城してれば簡単には落ちない。
    関ケ原の勝敗を分けたのは実はこいつかもしれん。

  16. 人間七七四年 | URL | -

    ※15さん
    どうだろう?例え岐阜城だけが残ったとしても周りのお城落ちちゃってますしね。
    元城主を筆頭に美濃の地理を知ってる連中ばっかりだし難しいと思う。

    以前、他の人が何故垂井城を有効活用しなかったのか?と疑問を呈したり、
    結局大垣城からの後詰が間に合わなかったのを見てもこう言った点から見ても、
    思いの他に美濃平定が早かった証拠だと私は思う。

  17. 人間七七四年 | URL | -

    俺らは結果を知っているから西軍はバカだねで済むけど、
    当時の状況は、毛利と上杉で家康を挟み撃ちにするし、豊臣恩顧も西軍に付くだろうっていう予測がある。
    特に東海道は、山内一豊や福島正則が東軍について、美濃まで素通りは予想付かんだろう。

  18. 人間七七四年 | URL | -

    >>山内一豊や福島正則が東軍について、美濃まで素通りは予想付かんだろう。
    秀吉末期からその後の状況考えれば、どう考えても上杉討伐軍に所属していた豊臣武将達が三成(毛利家)側
    に付くわけないですね。武将達への外交見ても其々に付いた人達の背景見れば、大抵どちらに付くかは予測が
    付く。小山前後で三成側へ付いた武将の少なさを見れば一目瞭然。
    一部を除き、西軍側の主力武将達が元織豊系家臣ではなく、陪臣から出世した大名や地方の大名ばかり。

    むしろ、三成側の方が豊臣恩顧と言う立場に頼りにせざるを得ない状況だと言うのが良く分かる。

  19. 人間七七四年 | URL | -

    >>16
    それは兵力が劣るのに早期に野戦をして負けたからですよ。
    畿内の東軍で野戦したアホいないでしょ?真田だって野戦してないでしょ?
    細川とか京極とかが野戦してれば、普通に関ケ原に西軍が三万くらい+されるから普通に東軍は勝てなくなる。
    まあ家康もバカじゃないからその時は籠城して秀忠まって、その間に双方が野戦築城しまくって長期戦でしょうが。

    >>17
    当時の家康は豊臣一門なので別に福島や山内がついてもおかしくもないよ。
    むしろ福島や加藤が家康を担いでいたともいえるし。

  20. 人間七七四年 | URL | -

    秀信が家康の会津征伐に付いて行きそびれたってのは、ワザとと見た方が良いのだろうか。
    軍装を整えるのが遅れてって、遅刻の言い訳じみて訝しいんだけど。でその後、三成の尾張安堵の条件を飲んだと。
    秀信家臣があらかじめ三成方と通じてて、そうなるよう仕向けたとか考えられるだろうか。
    その辺り資料は残ってないのかな。

  21. 人間七七四年 | URL | -

    岐阜城は見通しがいいから奇襲を受けにくいだけで大軍で包囲されたら普通に落ちるでしょ

  22. 人間七七四年 | URL | -

    >>20
    慎重な家康が天下分け目の戦いなんて選ぶわけがない。
    上杉を潰した後で、他の大老や奉行を理由つけて滅ぼすか失脚させようとしたら、
    一斉蜂起されてしまっただけ。

  23. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    上杉と家康は上洛で纏まりかけてたけど奉行衆が認めなかったって話もあったね

  24. 人間七七四年 | URL | -

    お城の改修なんて時間と人手と資材が大量に必要だし、そんなにしょっちゅうなんて出来ないでしょう
    大概どの大名もお城の改修って落城時の損傷補修と虎口の改修くらいだよ
    綺麗なお城なんて殆どが秀吉と家康の安定期のお城

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