杉江勘兵衛を討ち取ったのは

2017年04月17日 11:34

829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/17(月) 08:55:19.10 ID:8+na5zsz
田中筑前守(吉政)の家臣の内、関ヶ原の役、合渡川合戦において石田三成の家臣で武勇を知られた
杉江勘兵衛と鑓を合わせ討止めたという者が3名あった。
西脇五右衛門松原五右衛門尉辻勘兵衛の3人である。

実際には、西脇が杉江と鑓を合わせて突き合いをしていたが負傷した所へ、田中吉政自身も駆けつけ
声をかけ、西脇がさらに奮戦していた所、松原が来て突き倒し頸を挙げたのだ。
辻勘兵衛は通りざまに鑓を合わせただけであった。

しかしてその後、西脇と松原はこの時の功を争って止まなかった。
吉政が筑後拝領した初め、磯野伯耆守の所で吉政は、両人が未だに絶交状態であると聴き、
両人を呼び遣わし、その間に、杉江を討ち取った事についての、全く同じ文章の感状を二通したためた。
両人へこれを渡して、仲直りをさせたのである。

辻勘兵衛はこの合戦の時、他の敵と組み討ちの功があり、別途その功についての感状を与えられた。

田中家改易の後、松原五右衛門尉は三千石あまりにて越前へ、西脇は七百石にて肥後へ、辻は肥前と称し、
浅野但馬守の所へ参った。

(士談)


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