島津豊久が関ヶ原にて討ち死にしたのは

2017年04月27日 18:00

859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/27(木) 17:55:42.21 ID:aWpfotaT
島津豊久が関ヶ原にて討ち死にしたのは、彼が討ち死にせねば島津の総勢が撤退すること困難だったためで、
彼とその配下500ばかりが一ヶ所において討たれた。忠死というべきであろう。これによって島津の兵は
事故無く引き取れたのである。
ただし大勢が、豊久が討たれたその場で腹を切って死んだ、と云うのは嘘である(大勢その場にて腹を切て
死せしと云は嘘也)。

(士談)

豊久が死んだその場で薩摩軍集団割腹、という話も当時あったらしい。



860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/27(木) 18:33:32.53 ID:cU26TiUR
そら豊久は異世界のエルフのとこ行っちゃったからな

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/27(木) 18:43:28.30 ID:MbjlmIMI
>>859
足止め役なのに全員切腹したら意味ないしなw

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/27(木) 22:04:33.99 ID:UdAgxPiJ
明治になるまで薩摩ってこんな顔の奴ばかりだったんだろ
http://i.imgur.com/S4Y3T.jpg

間宮林蔵は良く潜入出来たな
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    腹ではなく首切って置いてきました(ちが

  2. 人間七七四年 | URL | -

    まあ大将が死んだら首を守って退かなきゃならんしねえ

  3. 人間七七四年 | URL | -

    「島津の退き口」は話自体は格好いい話ではあるのだが
    そこに至る状況を知れば知るほど、
    グダグダ過ぎてなんだか…ってなる
    死なな無くてもいい人達が死んだみたいな?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    だいたい鳥居元忠が悪い

  5. 人間七七四年 | URL | -

    >>1
    猿もとい、さる王「敵前で集団自決させてひるんだ隙に突撃ってのも乙です」ヽ(*´∀`)ノ

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    いやそれは違うだろ
    あの時点で島津勢は入れられない
    島津方も申し入れが本音か策略かどうかではなく現場責任者として、
    「味方が増えた♪」
    の軽いノリで迎えいれられないでしょ

  7. 人間七七四年 | URL | -

    訂正

    ×島津方も→島津方の

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    まぁすごくぶっちゃけちゃうと単なる敵前逃亡だし遅滞戦闘だからね。
    ていうか島津関係は結構ありきたりなことなのにやたらもったいつけたネーミング付けてさも大層なことのように言われてるのが多すぎる気がする。
    がっつり漂白されてスーパーマンになっちゃった立花宗茂なんかも似たようなもんだな。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    まあ前の年に庄内の乱があったし・・・

  10. 人間七七四年 | URL | nLnvUwLc

    ※3
    戦闘民族薩摩侍は、誇りを守るためなら死人が多く出ても全然問題ないから
    冗談とかではなく 血が熱すぎるねん

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※10
    「戦闘民族」はいいけど誰に味方するか
    国として参加か不参加かも明確にならないままに出陣
    東軍に付こうとするもグダグダに追いやられ
    西軍にいてもいまいち立場は流動的
    最終決戦上でも戦ったのか戦わなかったのか
    よくわからないうちに敗走からの大量戦死者
    戦闘民族と言えども、勢いで飛び出さない方がよかったんじゃ…

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    ↓:『人国記』にある大隅・薩摩の風俗から抜粋


    武士の戦場に於いて死するも、忠義に因って死する所の節を以って善とする工夫なく、
    ただ武士は戦場に於いて死を致す者とのみ覚えて、死するは論ずべき様なし。


    討死さえできれば、なんも関係ない模様・・・。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    ※11殿
    >東軍に付こうとするも
    これは、徳川家に対する言い訳みたいなもので最初から西軍じゃないかな。
    亀寿が大坂で人質になっているし、忠恒は前年にやらかしている(庄内の乱)し、
    亀寿にもしものことがあれば、太守の意向ではなく豊臣の意向で跡取りになって
    いる忠恒の立場は・・・ってなものですからね。

  14. 人間七七四年 | URL | -

    龍伯隠居後の島津は元々の分権的な統治機構の上に無理矢理いびつな三頭体制を敷いたせいで指揮系統がやばい
    ただでさえ船頭が多い上に船で山を登れと言われればマジでやりかねない薩摩人とのシナジーで迷走度がさらに上昇する

  15. 人間七七四年 | URL | -

    三頭体制はもうちょっとあとじゃないかな。
    この頃は、慶長四年(1599)に当主として必要な系図などを居城である
    富隈城に移動させたとあるのでまだ当主として働くつもりだし、
    なので、義久の権威が一番強いし。

  16. 人間七七四年 | URL | -

    ※15
    三殿体制は忠恒のランクは低いけど文禄三年くらいには既に始まってるよ。
    忠恒は義久・義弘とは別に独自の家臣団を持ってるからね。

  17. 人間七七四年 | URL | -

    ※16殿
    そうですか。ありがとうございます。
    思ったより早い段階でなってたんだなぁ。
    独自の家臣団を持っていたのは聞いたことはあったけど。(※15)

  18. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    単なる自殺戦闘に玉砕だの神風だの飾っちゃうのが日本人の精神性です故
    薩摩に限ったことじゃないな

  19. 人間七七四年 | URL | -

    チェスト関ヶ原

  20. 人間七七四年 | URL | -

    薩摩隼人に愛された男・豊久という評判が、妙な噂を産んだんだろうなぁ。

  21. 人間七七四年 | URL | 3aXRcdxk

    ※8
    組織的な撤退行動を敵前逃亡とは言わんぞ
    あと遅滞戦法は数あれど、こんなキチガ…戦法やろうと思ったのもやったのも多分こいつらぐらいだぞ

  22. 人間七七四年 | URL | -

    ※21殿
    まあまあ、薩摩の場合にはそれが功を奏した
    わけだし。

  23. 人間七七四年 | URL | -

    ※21
    兵力にもう少し余裕があればまとまったしんがりを置きつつ撤退したのかなとも思う
    あれは限られた戦力を義弘の生還に全振りした結果生まれた戦術で島津的にも二度とやりたくないはず
    中馬さんも泣いてることだし

    一つだけ言いたいことは信長の野望で島津家の戦術を捨て奸にするのはもうやめてさしあげろ

  24. 人間七七四年 | URL | -

    ※23殿の言う通りだな

    無勢すぎたのもあるけど、覚書の類でも整然とした行動じゃなくて行き当たりばったりだよね。

    東軍が三成らの西軍主力を大挙して追撃してた脇を運よく駆け抜けたって感じかなぁ
    途中で馬印を折ったりもしてるし、生き延びる為の処置は尽くしてるけどね。

  25. 人間七七四年 | URL | -

    長寿院「身代わり(ポツリ)」

  26. 人間七七四年 | URL | sSHoJftA

    豊久さん、実は、敵陣突破を始めるより前に戦死していた可能性が濃厚なんだよね…(行方知れずになり、血まみれの乗馬だけが発見されたという証言の記録がある)

  27. 人間七七四年 | URL | -

    ※26
    血まみれの乗馬が見つかったのは関ヶ原宿口だったそうだから行動開始後じゃないでしょうか?

  28. 人間七七四年 | URL | -

    ※26※27
    討死した中書殿の魂が愛馬に乗り移って前進を続けたという伝説を今思いついた

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