週間ブログ拍手ランキング【04/27~05/03】

2017年05月03日 18:47

04/27~05/03のブログ拍手ランキングです!


苦辛城(くららじょう) 27

島津豊久が関ヶ原にて討ち死にしたのは 20

「功者の料理人」 15
その勇功といい義を守ることといい 14

嘆きの中の喜びとはこのことです 11
御感状お望みのことは 10
頂いた白瓜は 10

生きて五鼎に食まずんば、死して即ち五鼎に烹られん! 8
誠の忠臣と言うものは 7


今週の1位はこちら!苦辛城(くららじょう)です!
名は体を表す、とはよく言いますが、体の方も名に合わせてしまう事がある、という事を教えてくれるようなお話です。
確かに、”苦辛城”ではもう字面から直感的に、辛く苦しい戦いがここであったのだろうな、と思ってしまいますね。
その前の”鞍良”がわりと平和で文化的なイメージをもたらすだけに、一層ギャップを感じます。
表意文字である漢字の特徴かもしれません。
それにしても「後世になるほど伝承が勝手にできる」というのは、戦国に限りませんが、遺構、遺跡によくあることで、
研究などでも「民間伝承」を鵜呑みにして判断すると、大きく間違える結果になりがちです。
下手すると4,5年で出来ちゃうんですよね、「民間伝承」

2位はこちら!島津豊久が関ヶ原にて討ち死にしたのはです!
島津豊久の討ち死にの様子について、彼の死後に薩摩武士たちの集団自決があった、という説が、およそ江戸中期くらいには
存在したらしいというお話ですが、これは豊久の英雄性、その身を犠牲とした英雄性をより強調するために追加された
ものなのでしょう。
ここから見えてくるのは、島津義弘らが退却できたのは、ひとえに豊久の英雄的犠牲のおかげだった、という認識が、
当時の人々の間に広く共有されていた、という部分でしょう。そしてそんな豊久を。一人で死なせたくない。そんな気持ちが
働いたのではないでしょうか。
島津豊久は生前もそうでしたが、死後も薩摩隼人たちに愛された。そんなことを感じさせてくれる逸話かと思います。

今週管理人が気になったお話はこちら!嘆きの中の喜びとはこのことですです!
やはりここから見えてくるのは、当時の「家」を中心とした社会認識でしょうか。
秀吉は池田恒興・元助親子の討ち死にを共に嘆きつつ、輝政・長吉が行きていることを賀すとし、また彼らに池田家の
家中スタッフを継承させるとして、新たな池田家運営についての「覚悟」をも迫っています。
ここからは、当主、および嫡男であった恒興・元助の死は悲しむべきことながら、家の運営主体が残っていたことは喜ばしい
事態であり、何よりも大切なのは家の運営であるという価値観です。こう言った認識から、当時、家が法人であったという事が
よく見えてくると思います。
こう言った認識は実は武士だけでなく、この時代一般のものだったりしますね。
戦国時代を見る時、個人に焦点を当てるばかりではなく、こういった部分を忘れないようにするのも大切なことだと思います。
そんなことを思い出させてくれた内容でした。


今週もたくさんの拍手を各逸話にいただきました。いつもありがとうございます!
また気に入ったものを見つけたら、そこの拍手ボタンを押してやってくださいね!
( ´ ▽ ` )
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