新納が申した如く

2017年05月12日 17:01

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/12(金) 09:35:48.62 ID:vNdllw93
肥前有馬のうち、島原において、龍造寺隆信と有馬修理太夫(晴信)が争っていた。
有馬は最初、大友に属していたが、大友の弓矢次第に弱り、ややもすれば龍造寺に攻め詰められ、
度々危ういことばかり多かったので、この時は島津に属して加勢を得て、島原において無二の一戦を決心した。

この時、島津龍伯(義久)は、家臣である新納武蔵守(元忠)を呼んで尋ねた
「今回の有馬への加勢は、当家興廃のかかるものである。いかがあるべき、大将を誰に定めるべきだろうか。」
新納は申し上げた
「同じ御兄弟ですが、兵庫頭(義弘)殿は、耳よりも目の大胆な人物です。
中書(家久)殿は、耳よりは、目で見て物を侮らない人です。

この度、龍造寺隆信な2万の着到にて出馬と聞きます。それに対し有馬はわずかに4千の人数です。
そして此の方よりの加勢も4千。ですから、戦を慎重に致す人でなければ大事に成ると思われます。

中書殿は聞いては大胆に物事を押し、あなどる人物です。しかし実際に見ると慎重に懸ります。
彼を以て、遣わされるべきと考えます。」

龍伯もこれに同意し、島津中無大輔家久を大将として加勢を発したが、新納が申した如く大利を得て、
隆信を討ち取ったという。

新納の終始の言い分、尤もその理を得ている。

(士談)


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    何か軽くディスってねーか?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    さすが、薩摩のゴッドファーザー
    主君筋にも遠慮なく物申すひとである

    ちんちろりんとひねりあげるが如し

  3. 人間七七四年 | URL | -

    耳も目も慎重という人はいなかったのだろうか。
    いないかもしれないなあ…。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    戦いのスタイルの違いを耳と目で言い表しただけだと思うので・・・
    >耳も目も慎重という人はいなかったのだろうか
    (あとたしか、史実ではその頃新納さんは別の土地にいたのでおにいちゃんと対話できない)

    >主君筋にも遠慮なく物申すひとである
    お兄ちゃんにはもう少し遠慮してあげてと思わなくも無い。
    (娘さんは亡くなったと思ってとか弟見殺しにして猿に尻尾振って何が楽しいのですかとか)

  5. 人間七七四年 | URL | -

    >>龍造寺隆信な2万の着到
    2万人のクマーか・・・そりゃ怖いな

    当時で2万の軍勢を用意できるだけ本当に凄いな

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    「肥前から来ますた」っていうAAが脳裏に去来して困る>2万人のクマー

  7. 人間七七四年 | URL | -

    そんな餌にこの拙者が釣られ龍造寺ってネタは割と昔から有る

  8. 人間七七四年 | URL | -

    米3
    歳久(ガタッ)

  9. 人間七七四年 | URL | -

    戦国後期になると割と二万ぐらいなら動員が掛かってる気がするが

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※8殿
    歳久さんは史料が少なすぎて判別できない…

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    その2万人もの人をどの大名もポンと用意できるかい?
    例え人が集められたとしても、それを戦力として整えられる力
    は別物だよ?

    龍造寺家はその点が優れた大名家。フロイスも認めているね

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    確かに敵地へ2万も出せる大名はなかなか居ないね。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    沖田畷の前年に息子の新納忠堯が島原の龍造寺方の城を攻めて敗北し戦死しています

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