加藤清正石垣の上手なる事

2017年05月17日 14:06

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/16(火) 23:23:14.96 ID:9GfvhoH8
加藤清正石垣の上手なる事

 加藤清正は石垣の上手であったという。
今肥後熊本城の石垣はもとから高かったが、
その下から走り上ると二・三間は自由に上れるが、
それから上の所では頭の上に
石垣がのぞきかかって、空は見えないという。
伝わるところでは、清正が自ら築いたそうだ。

 これは熊本に住んでいる者の話である。

(甲子夜話)

加藤清正石垣の上手なりしこと

 加藤清正は石垣の上手であった。
ある人が言うに、
「私が肥後に言ったとき、熊本城の石垣を見ると
高いが勾配がなだらかで上れるように見えたので駆け上った。
四・五間は上れたが、石垣の上の方が頭上に覆って空が見えない。
そのためそのまま駆け下った。」
とのことである。

 この頃ある人が語るに
「大阪城西丸大手、御橋内御曲輪の石垣も清正が築いた。
それは御城御建築のとき、清正は石垣の上手なので台命があって、
清正自身の指図で築いたのだ。」
という。
よって今も、北は西丸大手の角から西は三角矢来までを清正石垣または加藤土居と呼ぶ。

 またこの云々は『白石随筆』、『岩淵夜話拾遺』にも出てくると。
予の物が類焼後、身近な書が焚亡したので、引用することはできない。

(甲子夜話三篇)




906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/17(水) 00:04:17.26 ID:dJqOT0G2
石垣がカーブしてるのって建築上の理由もあってのことだからね

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/17(水) 06:03:07.51 ID:2hXqqu9w
ちゃんと設計図ものこってるんだよね。

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/17(水) 15:55:00.83 ID:OKCN1qvM
この前の地震でも、後年に建てられたり
改修されたとこは壊れて当時のは無事だったらしいな
戦国建築オーパーツ?職人すげー
スポンサーサイト


コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    Nスペであった熊本城再建の中で、石垣職人がどうやってあの曲線を生み出したかの下りが面白かった
    古文書に書いていた方法では単純な直角三角形と一定の逓減率の組み合わせで現場で簡単に計測施工できるが、現代の計算式に直した時の複雑怪奇さのと対比が良かった
    あの曲線が慶長伏見地震からわずか3年で生み出されたというのも職人の執念が感じられてよかった
    あの番組見て、古の技術を残すのも良いが最新の技術で修復するのが正しいのでは?と考えさせられた

  2. 人間七七四年 | URL | -

    某和泉守「石垣は反りじゃなくて高さが一番重要でしょ」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    イシガキタカシが一番?(難聴)

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ていうか石垣に登ったりして番士に見咎められないのかな

  5. 人間七七四年 | URL | -

    駆けあがれる距離(高さ?)がちょっぴり盛られてるし って同じ書物かい

  6. 人間七七四年 | URL | -

    3
    隠密などが外から見たら四角形ぽいけど、実は五角形と言う凝った縄張り作ったり、清正とどっちが正しかったのかねぇ?

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    ターさんは帰りなさい

  8. 人間七七四年 | URL | -

    文官よりの武将の中で清正だけ猛将のイメージになってしまう
    なんでだろう

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    創作のせい

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    福島正則だってそうなんだけどさ。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    清正は蔚山城とかの実績もあるからまあわかる
    正則は何故ちゃっかり武功派に混ざっているのか

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/10752-ec791f02
この記事へのトラックバック