中里介山「大菩薩峠」の「伊達政宗と細川忠興で半分こ」

2017年05月30日 18:10

807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/30(火) 15:31:13.86 ID:RaAvraES
伊達政宗=文化財クラッシャーってことで王羲之の書をまっ二つにしたことがネタにされてるけど
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-376.html
「伊達政宗と細川忠興で半分こ・いい話?」

>政宗と忠興と言えば、朝鮮出兵時に漢陽(ソウル)の王宮で見つけた
>王義之の書(写本)を取り合って、結局山分けして半分ずつ持ち帰った話が
>2人らしいエピソードで印象深い

中里介山「大菩薩峠」を読んでたらこのエピソードが載っていて、その内容は
細川三斎の部下甲がソウルの王城で王羲之の孝経(李世民親筆の序つき)を見つける。
伊達政宗の部下乙もそこに来て、甲に伊達に譲るよう言うが、早い者勝ちということで甲が自軍に持って帰る。
→乙から聞いた伊達政宗が細川三斎の陣を訪れて、王羲之の孝経を見ようとする
→細川三斎が「このままでは政宗に持っていかれる」と思い、政宗に両家の結婚話を出す。
→政宗が両家の婚姻を承知する。
→細川三斎が王義之の孝経を2つに裂き、両家が一つずつとり結納代わりとする。
この後
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-845.html
のとおり、細川宗孝が板倉勝該に人違いで斬殺された際に伊達宗村(小説では父親の吉村)が機転を利かせて
細川家取り潰しを回避し、恩を感じた細川家から王羲之の書が伊達家に与えられ、王羲之の孝経がもとに戻る。

てことになっていた。
これだと三斎様のほうが文化財クラッシャーになってしまうけど、もともとの話ではどうだったんだろう。
中里介山の創作がここで戦国エピとして語られたんじゃなきゃいいが


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    わかっちゃいるんだが政宗の部下だし、内容が内容だしで色々苦労してんだなって事で
    「伊達政宗の部下乙」の意味がおつwwwに見えて仕方ない

  2. 人間七七四年 | URL | -

    この王羲之孝経、中国には全然伝わってないけど日本では江戸時代から知られていて(明治時代には出版もされた)、これについて朝川善庵という儒者(ここでもおなじみ松浦静山のお友達で平戸藩から扶持も受けていた)が、来歴について「慶長の役(文禄の役の間違い?)で朝鮮で得たもの」ってだけ記録しているんですよな。
    おそらく確かなのは「王羲之筆(模本?)、玄宗序の『孝経』が仙台伊達家に伝わっていて、朝鮮出兵時に得られたものという」って話だけで、半分にしたと言う話はおろか細川家すら出てこないわけで。

    中里介山が話を面白くするために、政宗と忠興で半分この逸話を作り出した可能性は低くないだろうけど、他に話は伝わってなかったのかなぁ。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    →乙から聞いた伊達政宗が細川三斎の陣を訪れて、王羲之の孝経を見ようとする
    →細川三斎が「このままでは政宗に持っていかれる」と思い
    素晴らしい信用だ(笑)

  4. 人間七七四年 | URL | -

    当時は書を切って分ける、ってのが結構普通の感覚だったからなあ
    たとえば高野切れ(古今和歌集の最古の写本)を代表として様々な書物が、茶道の隆盛とともに掛け軸に飾るためやアルバムに収めたり襖に貼ったりするために、バラッバラに切り分けられてる
    三斎も正宗も茶人であることを考えれば、特に抵抗もないどころか「この方が見栄えが良い」とか言いそうなもん

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