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石田三成、佐竹家の石高をまける・いい話?

2009年01月26日 00:09

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 04:35:27 ID:NME8w8ZQ
以前、石田三成が太閤検地時に島津家の石高(税)をまけた話が
あったと思うが、佐竹家でもそんな話が残っている。


小田原の北条征伐・奥羽仕置後

豊臣秀吉は全国的な検地(太閤検地)を実施した。
太閤検地の責任者であった石田三成は関東地方の検地をすることになった。

そろばんを弾く三成

三成「結城晴朝殿が10万石・・・(パチパチ)」
三成「里見義康殿が9万石・・・(パチパチ)」
三成「宇都宮国綱殿が18万石・・・(パチパチ)」
三成「・・・うーん( ̄~ ̄;)」


三成が悩む理由・・・それは関東に入部した徳川家康のことであった。

秀吉の命で家康は祖父清康からの地であった
三河を含む5カ国(三河・遠江・駿河・甲斐・信濃)
150万石(一説には125万石説もあり)から
北条氏の旧領7カ国(武蔵・伊豆・相模・上野・下野・上総・下総)
256万石へ移封された。

未だ北条氏の残党が不穏な動きをする関東を
容易く家康が治めることは出来ないと秀吉は考えていた。
しかし、三成は秀吉の考えとは逆に家康の関東統治が
滞りなく進むと予想していた。


三成「太閤様は徳川殿の統治を甘く見ておられる。
   太閤様亡き後、徳川殿が行動を起こす可能性もある・・・( ̄~ ̄;)」

※事実、徳川家康は関東入部後、旧領よりも多い100万石以上
 の直轄領に重臣達を代官として任命し難なく統治を可能にし、
 発展を遂げていった。

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 04:38:09 ID:NME8w8ZQ
758続き

三成「後々のことを考えて、徳川殿に対して
   包囲網の布石を打っておかなければと思ったが・・・」
三成「結城殿・里見殿・宇都宮殿の石高を合わせても37万石
   ・・・徳川殿の1/6程度の石高か・・・」
三成「北に上杉景勝殿が控えるといっても越後・佐渡を合わせても
   80万石程・・・( ̄~ ̄;)」
※越後は太閤検地時40万石程度でしたが、
 金山や貿易港を加えると70~80万石程の収入だったそうです。

三成「伊達殿から召し上げた会津には蒲生氏郷殿が移封するが
   良くて50万石程・・・( ̄~ ̄;)」
三成「全てを足して・・・(パチパチ)、167万石・・・
   約170万石・・・」
三成「ようやく包囲網らしくはなるがまだまだ徳川殿には敵わん
   ・・・( ̄~ ̄;)」
三成「如何したものか・・・」


計算詰めで疲れた三成はしばし横になることに・・・
横になった時、三成はある大名家の検地資料を目にした。


三成「・・・佐竹義重殿?そういえばまだ佐竹殿の検地調査書に
   目をとしていなかったな。」
三成「どれどれ・・・」
三成「何!!佐竹義重殿の石高80万石!!Σ( ̄□ ̄;) 」
三成「しかもこの石高は常陸国のみで、周辺の親族関係の大名家を
   加えると100万石を超えるとな( ̄□ ̄;)」

※事実、当時の佐竹氏の領国近辺には親族衆の大名家(相馬氏、白河氏など)が存在しておりこの大名家のみで
 30万石ほどになる計算だった。


761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 04:40:49 ID:NME8w8ZQ
758続き

三成「仮に佐竹殿の80万石を上杉・蒲生他の170万石と合わせると
   250万石になる・・・」
三成「親族衆の大名家30万石を加えると・・・なんと!!
   280万石!!Σ( ̄□ ̄;)」
三成「徳川殿の石高を越えるとな・・・」

この時、三成の脳裏に徳川包囲網の構想が完成した。
※後年、蒲生氏郷死後に越後の上杉景勝が会津120万石に
 移封することとなる。

三成「しかし、このまま80万石の調査書を提出しても佐竹殿が
   包囲網に参加することはないなぁ・・・」
三成「しかも、義重殿は徳川殿と懇意な間柄だし・・・( ̄~ ̄;)」
※同じ清和源氏の流れを汲む家康と義重は以前から懇意の仲であった。


三成「まてよ?義重殿は隠居の身で現当主はご子息の義宣殿・・・」
三成「よし!お父上の義重殿が徳川殿と懇意にしているのであれば、
   私は義宣殿と懇意になればよいではないか( ̄ー ̄)ニヤリ」
三成「そうと決まれば、義宣殿にこの件を文にしたためよう」


この時、三成は佐竹氏の石高を54万石と秀吉に報告したと言われている。
なんと26万石も税をまけたのである。
これ以降、三成は上杉氏、佐竹氏と懇意な関係を築いて行く事となる。

その後、秀吉没後に三成が加藤清正らの襲撃を受けた折も
義宣は三成の救出に向かっている。
また、関ヶ原の戦いでも義宣は西軍に付くことを表明している。
(ただし、この時は父、義重に反対されて結局は中立となる)

この他にも逸話として、関ヶ原の戦い後に捕まった三成は影武者で
本物の三成は佐竹氏に身を寄せて秋田入部へ随行したという逸話もある。

もう少し三成にコミュニケーション能力があれば、
徳川家康が専横を極めることもなかったのでは
と思えてしまう・・・




762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 04:55:47 ID:z8hGLN95
まあ、家康の専横と言うより、それに先行して三成ら三奉行と宇喜多、毛利の同盟が
秀吉の死後成立してて、それによる政権を樹立しようとしたら失敗したので、家康が
主導権を握った、って言うのが実態らしいけどね。

先に秀吉の遺命を破ったのは三成の方だったりする。

763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 05:33:10 ID:q2BWMe5G
三成は負けたからこそ忠義者って言われてる人っぽいな
佐竹の石高ごまかしてるもの自分の将来の栄達のためって感じだし

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 05:49:57 ID:0Notwc75
佐竹・上杉・蒲生を連合させて徳川にぶつけるのは良いが、家康が仙台の
やんちゃ坊主を味方につければ計算ひっくり返るよ!と言ってあげたい。

765 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/25(日) 06:53:44 ID:RM6ZrRJW
あれは手懐けられんだろ

766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 07:23:13 ID:Dzi1bACr
石田三成は小田原征伐の際に豊臣秀吉の惣無事令を無視して、
その後も恭順の態度を取らない伊達政宗を処断しようとした。
伊達家が北条家と同じ運命を辿るところを徳川家康、前田利家、千利休が間にはいってとりなした。
伊達政宗はこの時点で徳川家康寄りになっている。

770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 10:33:57 ID:SwNU5wOB
>>766
一方、森忠政は家督相続の際に所領を蘭丸と同じ7万石まで削られた事を秀吉に懐いてるふりをしながら
実は16年間ずっと腑に落ちて無かったので家康側に付きました。.

783 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 16:21:09 ID:WcX5gFG6
>>766
まあ、それに伊達家の本領(伊達郡、置賜郡周辺)はお取り上げされて、
一揆で壊滅的な被害を受けた大崎・葛西領への移動だからね
伊達に恨むなと言っても無理な話だ

786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 16:34:25 ID:d88U+MPi
>>783
もともと惣無事令違反もあるし、葛西一揆関与の疑惑もあるし。
むしろ本来なら死罪や取り潰しのところを助命されたり免罪されたり、
伊達が豊臣を恨むのは無茶苦茶な逆恨みだと思うが。

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 16:58:25 ID:WcX5gFG6
>>786
伊達をあまりかばうつもりもないが、
地域的に優勢な勢力が、豊臣の政策を既得権の侵害と見るのは不自然じゃなかろう
島津しかり、北条しかり、九戸しかり
彼らにだって言いたいことは山ほどあったはず

789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 17:07:45 ID:ocoQ7J3p
>>761
机上の空論っていうか…
恩を与えたら絶対に返して貰えるって思ってる辺りが甘いっていうか…

佐竹三家に鬼の親父が生きてる佐竹で、義宣に恩売ってもなぁ

790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 17:25:34 ID:qrXxlNXx
>>761
有力大名に恩を売っておくのも個人的な友誼を結ぶのも悪い手じゃないんだけどな
島津や上杉それに佐竹など、仮に豊臣政権が安定していればそのまま三成の支持者になった可能性がある
そして家康への牽制としては位置的にも石高的にも絶好のポジションだし、発想はいい
鬼佐竹の影響力が強すぎたのが問題だろうなぁ・・・

>>763
負けたからこそってよりは、家康が存命の内に豊臣を滅ぼしたからこそだと思う

791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 17:31:51 ID:7DgHUC5S
三成がしかけなきゃじりじり切り崩されてくだけの話だと思うわ

792 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/25(日) 17:58:42 ID:Dzi1bACr
>>788
島津義久の細川藤孝あての書状に羽柴秀吉への不満が見える箇所がある。

「羽柴秀吉はまことに素性の由来が知れぬ人だと、
世間ではもっぱらの噂のようですね。
我が島津家は源頼朝以来の家柄です。
しかるに羽柴秀吉を関白殿扱いした手紙を書かねばならぬとは、
悪い冗談かと笑ってしまいます。
また彼のような人に関白を免許されたのは、天皇の言葉が軽々しかったからでしょう。」

島津家の秀吉に対する不満がよく伺える書状だね。
関白の件に関しては天皇にまで不満をぶつけているから相当なものw
逆に言えば武家の名門にここまで言わす秀吉の立身出世ぶりと才能も凄すぎると言える

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 18:44:21 ID:iE2Bb9Xa
血みどろでまとめ上げた薩摩、大隅を、
「あれは無かったことにしよう、もう一回やり直し!」
だもんね。

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 18:50:49 ID:PugsJ1LL
中央には中央の理由があるだろ
こっちの力が行き届かないような僻地に九州統一目前の島津みたいな馬鹿でかい大名置けるか
当時200万石ぐらいあったんじゃないか?

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 18:55:10 ID:z8hGLN95
>>794
だからって島津にしても(北条にしても長宗我部にしても伊達にしても)、いきなり現れた中央による
中央の理論の押し付けに、はいそうですかと従う義理はないって話ですわ。

正しい正しくないの世界じゃないからね。利害問題。

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 20:04:14 ID:3I118l78
つ「勝った奴が偉い」

まあ…負けた奴が何言っても意味ないよね
自分も人から奪ったわけで

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 22:49:59 ID:TF7a7ZLf
>>792
伊作家は庶流だろと言う突っ込みはありなのだろうか…

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/25(日) 22:59:06 ID:8sFwgGcB
>>802
分家と云えど島津家だからな…本家を継いだ身でもあるわけで。
というか秀吉に比べれば伊作家だろうが相州家だろうが信濃島津氏だろうが「名門」だと思う。

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/26(月) 20:32:31 ID:gQd2sRVn
>>802
同族間の婚姻で血の濃さは、本家も分家も似たようなものかな
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