吉村には似合わぬこと

2017年06月13日 15:30

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/13(火) 14:59:20.56 ID:j0uYUwB8
睡庵(渡辺勘兵衛了)が坂本に居住していた時、睡庵の家来が大津の町において喧嘩のこと有りと聞いて、
吉村又兵衛(宣充)、その頃は牢人であったが、睡庵のもとに急いで駆けつけてきた。

水庵は対面するや言った
「喧嘩見舞いであるのなら、特別のこともないので帰られよ。
ほかに話したいことがあるのなら、飯を食ってから話されよ。」

吉村
「喧嘩のことを聞いて急いで見舞いに来たまでである。そういうことならば帰る」
そういって帰ったが、この時睡庵は次男を道まで遅らせた。水庵は次男にこう申し含めていた

「私は直に言わない、汝、密かに吉村に伝えてほしい。今日の見舞いのこと、吉村には似合わぬことである。
我等の手の者の喧嘩のこと、別にこれといった仔細のあるものではない。こういう事には天下の大法が
大方定まっている。我が者が斬り殺されれば相手の者は切腹に成るし、人を斬れば此の方の者が切腹と成る。
である以上、気遣いに成ること無い。

こういったことに吉村が大急ぎで京より来るというのは、まるで一揆合いで手足の働きをするの若者の
ようではないか。以降慎まれるように、と」

然るべき事である。

(士談)


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    いつの話でこの人たちは何者なんだ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    吉村は福島家が広島から川中島へ減転封後に京都に移り住んで居るからもう将軍家光の世の頃の話だね
    高名な人だけど武将と言うより一武人(基地外とも)のままで生涯を終えたような人で渡辺了みたいな大大名の筆頭家老だった人物に比べると格が数段落ちる
    まあ、久松松平家に仕官した時や旧福島家の同僚への援助に死ぬ時の禄に対する考え方とかかっこいい話も多く、いかにも戦国の武人の代表みたいな人だよ

  3. 人間七七四年 | URL | -

    それでも、わざわざ来てくれるだけの関係が二人にはあったのかな?

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