体内の光物

2017年06月23日 09:25

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/22(木) 23:51:44.66 ID:53keMK1k
ある人の語った所に寄ると、戦場へ出る度ごとに戦功を顕し、先駆け殿の功重なる勇者があった。
彼の友人がこれを羨み、

「我も人も、武士の家に生まれて一通りの働きを遂げぬ者は、家職を辞めて農工商の職を行う人に
成るべきだろう。だからこそ一通りの働きはしているが、御辺のように度々の戦功を成し、
後にて後悔もないような、心と身と口の一致した働きをするのは、致しようというものが有るのだろうか?
有るのなら是非承りたい。」

こう問われ、この勇士は
「奇特なることを尋ねられるな。わかった、語って伝えよう。しかしこれは武士の本意であるので、三日
物忌みをしたまえ。その上でこそ伝えよう。」

これに問うた者は喜び、三日斎戒して再び対面した

勇士曰く
「生死は一大事である。人の生きることを止めないために慎むべき事であるから、この事を秘事にしているのだ。

大きな仔細が有るわけではない。人の身には手毬ばかりの大きさの、光る丸い物があって、常には臍の下
あたりに静まっている。
しかしこの光物は常に身中を往来し、面門(口)から外へ出入りもする。

臆病な者は、この光物が抜けて内に無い。このため光を失い何事も分明ならず、方向を失うのだ。

それより少し心得有るものは、外に抜けてはいないといっても、面頭に上がり、このため目も見えず
耳も聞こえず、その場における善悪の判断も出来なくなる。

それよりも一段上の人は、この光物が胸に上がり、胸騒ぎがしきりである。

上段の人は、臍下に留まり気は勝り、病気などに成ることもない。こう言った人こそ心口行の三つ一致して、
所行常に静かにしてその理も分明である。

これを修行するには、人に会って怒りを覚えた時、この事を思い出す事だ。
そこでよく考え、体の中の光物を納め付けた時、終には修行が本意に至るのだよ。」

この教を受け、問うた者は拝して退いたという。
これは定論ではないのだろうが、この説を実践すればその至極に至ることも出来るだろう。
かの孟子が論じた「放心」にも似ている。

(士談)



53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/23(金) 02:05:21.72 ID:/IPKuLm8
武術でいうところの「気」か
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    ヒカリモノ と読むとなんかおかしい

  2. 人間七七四年 | URL | -

    結石の話かと思った…

  3. 人間七七四年 | URL | -

    利常「黒光する物なら直ぐにでも出しましょう(ボロン)」

  4. 名無しさん | URL | -

    口から出てくる毬状のもの、ってだけで臭い玉かと思った・・・

  5. 人間七七四年 | URL | -

    丹田のことだろうけど、当時はこんな認識だったのね

    ターヘルアナトミアが入ってくるまで六腑あると思われてたくらいだから、
    罪人の死体で刀の試し斬りとかするわりに解剖とかはしてなかったんだろうな

  6. 人間七七四年 | URL | -

    陽明学の良知説みたいだーと思ったら、最後に孟子が出てきて納得

  7. 人間七七四年 | URL | -

    カメハメ波を出す勇者の話かと思った。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    同じではない。足すな!
    そっちが後!。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    上丹田中丹田下丹田だな
    周天法だと上下に光の玉を移動させたりするから道教系の修行法を学んでるのかも

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