広高には少しも悪しきことはなかった

2017年06月30日 16:56

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/30(金) 02:37:58.72 ID:k++An8Gf
松平肥後守正之(保科正之)の家士に、田中三郎兵衛(正玄)という人がいた。
この人四代の祖は寺沢広高の浪人である。

会津公は聞き及びなさって三郎兵衛を3千石で招きなさり、老臣となさった。
三郎兵衛は常に申して、

「先主・広高の行状を思えば、まことに感涙に堪えることなどが多いのである。
12万石の身分で奥方までも木綿の衣服であった。年始などの規式といえども、

塩魚、または干し魚を用いた。このように倹約かと思えば、千石取りの士が
40人いた。平素ともに万一の変事がある時にとして建てられた家法である。

それにもかかわらず、その子・兵庫頭殿(堅高)は父とは大いに違った人故に、
あの如く身の上を果たした。広高には少しも悪しきことはなかった」

と語った。

――『明良洪範続編』


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    唐津の仕置は一生懸命やったのに
    関ヶ原後に加増された天草に対する仕打ちへの不満が
    息子の代になって爆発するわけだ

    唐津城は天下一品の展望台だと思う

  2. 人間七七四年 | URL | -

    言葉通り全員千石としても4万石、実際には倍以上か?
    12万石は大領だが上級家臣にそれだけだしていたら藩主直轄地から領内経営のための資金捻出がカツカツだったろう
    更に中下級武士がその後に控えている。人件費の割合が凄まじい事になりそう
    仮に天草で反乱が起きなくても、他の大名と同じく禄を出しすぎた上級家臣の削減でお家騒動待ったなし
    創業者は気前よく禄を与えているが二代目からは成長が望めない時代に入っている
    島原の乱は寺沢広高の時代からの問題も孕んでいると思う

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    マキャベリ先生は「君主は一見気前のいいケチであれ」っていうけど
    寺沢さんは逆に「一見慎ましい浪費家」だったわけね

  4. 人間七七四年 | URL | -

    昔、本屋の歴史書コーナーに必ず並んでいた○○県の歴史シリーズで熊本県の歴史を読んだ事がある。うろ覚えだが内高75万石に対して加藤時代が直轄領12万石で細川時代が36万石とか出ていた
    そりゃ加藤時代は家臣団の権力強すぎて御家騒動だらけだったはずだわ

  5. 人間七七四年 | URL | -

    寺沢・松倉両家は島原で将来に禍根を残すほどのやらかしをしたせいで
    いい話でさえ斜に構えた見方をどうしてもしてしまうね

    明智や石田三っちゃん、果ては吉良上野介ですら名誉回復してる現在でも
    彼らの名誉が回復することは、ないんだろうねえ

    永遠にないな

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    有名武将とマイナー武将じゃ人々の意識の土台からして違うし
    それに歴史科次第でしょ?

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